バリアートショールーム オーナーブログ
2013.4.27

原画の持つ力

こんにちは、坂本澄子です。

春の暖かな日差しが戻り、ゴールデンウィーク初日をちょっぴりウキウキとした気持ちで迎えられたのではないでしょうか。

先日はバリ絵画展「青い海を描かない作家たち」にお越しいただき、また全面オープンしたホームページにも多数のアクセスをいただきましたこと、改めてお礼申し上げます。まだ始まったばかりですが、最高のアートスペースを目指して一歩ずつ進んでいきたいと思います。

3日間の絵画展で色々なお客様とお会いし、人と絵の関わりについて改めて考えさせられました。今日はそのひとつをお話したいと思います。

ユトリロ代表作「ラパン・アジル(1910)」

ユトリロ「ラパン・アジル」(1910)
ポンピドゥ・センター国立近代美術館所蔵

初日の朝、大きな深紅の花束が届きました。このような粋な計らいをして下さるのはどなただろうとお名前を見ると、前職でお世話になったある会社の会長さん。そしてオープンと同時にご本人が入って来られ、まるで映画の一コマのようです。ひとしきりお話する中で、絵画との馴れ初めについてお聞きすることができました。今から30年前、会社を興こされた頃のこと。銀座の老舗画廊で初めてユトリロの作品を生で見て、心を揺さぶられるような感動を覚えたそうです。ユトリロと言えばフランスを代表する近代画家、しかもバブル絶頂期にあって”ものすごい”お値段がついていました。その時決心されたことは「いつかはユトリロの絵を買えるようになりたい」だったのです。その気持ちがつらい時期にあってもその人を支え続け、ついに手にしたのは10年後だったそうです。そして、事業が安定し拡大路線に入った頃、次に惹かれたのが直線的な描写が特徴のビュッフェ。ビジネスに向き合う時の緊張感や研ぎすまされた感覚にぴったり添うような手応えがありました。会長さんは今でもビジネスの重要な場面で気持ちを高めたい時、ビュフェの作品の前に立つそうです。その会社は従業員600人を超える規模に成長し、昨年念願の東証上場を果たされました。

原画には多かれ少なかれ、そのように人を動かす力があると思います。作家のその時の思考や感情がエネルギーとなって伝わってくるのです。それをどう受け取るかは、見る人に完全に委ねられます。それだけに「作品との出会い」は「人との出会い」と同じように重要で、ある時には人生の転機になることさえあります。普段からよい作品に触れる機会を、特にお子さんがいらっしゃる方は積極的に増やしていただければと思います。

バリは島全体が観光業で成り立っており、絵画はハイセンスなお土産品として喜ばれています。しかし、流れ作業で大量生産されるお土産絵画は論外としても、使い回されたパターンを使って作業として絵を描くことと、作家自身の内側から湧き出るエネルギーをキャンバスに表現することは全く異なる次元の活動だと思います。絵画を生活の糧としてではなく、芸術活動として位置づける芸術家集団として、1936年バリ島ウブドでピタ・マハ協会が発足しました。初代会長は近代バリ絵画を代表する画家のイダ・バグース・プトゥ(Ida Bagus Putu)、当時のメンバーにはイ・グスティ・ニョマン・レンパッド(I Gusti Nyoman Lempad)やこのブログでもご紹介したシュピースやボネといったバリ絵画の近代化に影響を与えた外国人画家もいました。その後、協会自体は解散しましたが、その精神は形を変えて現在に引き継がれています。

「バリアートショールーム」は、プリ・ルキサン、ネカ、アルマなど、島内の主要美術館に作品が所蔵され、画家名鑑に名を連ねるクラスの画家の作品を、手の届く価格帯でご提供することを基本コンセプトに据えています。無名の若手作家であっても、表現者としての精神性に優れていると判断すれば積極的に紹介しています。この朝の出来事は、私たちに原点に立ち返る機会を与えてくれました。

絵画展でも気に入った作品にじっと見入っておられる姿が見られました。写真画像では伝えきれない作家の想いをそれぞれに感じ取っておられたのではないでしょうか。バリの伝統スタイルはインド神話や登場人物、その祭礼に集う村人たちが題材になっていることが多く、その意味や背景にあるものを知ることで更に味わいが増します。会場でも解説の掲示などの工夫をしましたが、来週からは「バリ絵画をもっと楽しむ法」と題して新シリーズをスタートします。どうぞお楽しみに。

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