バリアートショールーム オーナーブログ
2014.4.23

桃源郷、そして光の創り出す空間へ

こんにちは、坂本澄子です。

「桃源郷」という言葉の響きにずっと憧れていました。

中国の古い詩集『桃花源記 ならびに詩』に出てくる、桃の花が一面に咲き乱れるその場所は、実は私たちの心の中にある場所であり、実在の場所として探すとかえって見つからなくなるものだと言います。

そういえば、昨年7月のバリ絵画展『緑に抱(いだ)かれる午後 〜 永遠の夏休み』も、そんな心の風景をバリの画家たちの手によって具象化したものでした。子供の頃に見た風景は記憶の中で次第にその形を変え、もはや現実の姿とは異なっていても、それこそがあの時心が感じた風景であり、時々そっと顔を出しては私たちを慰め励ましてくれるのです。バリの絵の魅力は描かれた景色や思想に私たち日本人にも共通するものがあり、それが心の引き出しから様々な記憶を呼び起こし、絵を見る目に奥行きと深みを与えてくれるように思います。そんなメッセージに共感して下さった方もあったのではないでしょうか。

釈迦堂PAそんなことを考えつつ、この季節、盆地全体が桃色に染まるという山梨の桃源郷に行ってきました。

中央道の釈迦堂PA。隣接する桃園の高台に上がると、盆地の遥か向こうまでピンク色の大地が断続的に続き、まるで夢見るような光景です。よく見ると花の形もさまざまで、マツバボタン風あり、枝垂れ風あり、ブログ140_桃の木挙げ句には同じ木なのにピンク、白、紅白混合の3種類の花を咲かせている賑やかな木ありと、一口に桃と言っても随分種類があるのには驚きました。ちなみに、3種類の花を咲かせているのは接ぎ木によるものだそうで、桃園のご主人が「木を騙すのです」と説明されるのがおかしくて、おもわず吹き出しそうに^o^

 その後、清里にある「清春芸術村」を訪ねました。ここでは桜が最後の見頃を迎えていました。ここは敷地内に「清春美術館」と「光の美術館」の2つの美術館を擁し、シャガールやモディリアニなど、後の巨匠たちにアトリエ兼生活の場を提供したパリのラ・リューシュ(蜂の巣)を再現したという日本版ラ・リューシュがあります。さらに、礼拝堂梅原龍三郎の旧アトリエなどが、広場を中心に程よい距離で点在し、それぞれにこだわりの空間を為していました。何よりも見事だったのはやはり桜。いつからそこに植わっているのだろうかと思われるほどの大木です。風がそよぐたびに花びらが雪のように舞うのはまるで映画の1シーンのようでした。

(左) ベンチが小さく見えるほど大きな桜、(右) 積み木のように見える「光の美術館」

ブログ140_桜 ブログ140_清春芸術村

光の美術館「光の美術館」は安藤忠雄さんの設計で、小さな積み木のようなコンクリートの建物。天井を斜めに切り取るように窓が設けられ、その名の通り、自然光のみで作品を鑑賞する美術館です。光の入り方によって同じ絵でも違う表情を愉しめ、窓の向こうを雲が通り過ぎて行くのを見上げながら、いつまでもそこに留まっていたくなるような場所です。

私が訪れたときはフランスの画家ベルナール・カトランの回顧展をやっていました。写真は芸術村の公式サイトから使わせてもらったもので、カトランの作品展示でないのが残念ですが、コンクリート打ちっぱなしのモノトーンの壁を原色の花々が色鮮やかに彩っているのが何ともオシャレです。

色の使い方という点では、やはり西洋の画家の方が一日の長があるように思います。

カトラン 黄色のバラ 62009-thumb-1709x1843-453カトランの作品もぱっと見た感じは3色くらいしか使っていないように見えるのですが、よく見ると同系色の様々な色の集合体からなり、絵に深みがあります。そこに油彩の凹凸が加わると、光の当たり具合で作品の印象が随分変わるというわけです。カトラン作品はリトグラフやタピスリーにもなっていますが、こうして見るとやはり原画にまさるものはないなあと思います。

この小さな美術館、作品と建築と自然のコラボレーションを具現化した空間として、とても密度の濃い時間が過ごせますよ。

<関連サイト>

清春芸術村公式ホームページ

 

コメントをどうぞ

※は必須