バリアートショールーム オーナーブログ
2015.1.3

日本古代美術、バリ絵画との共通点

こんにちは、坂本澄子です。

あっと言う間に三が日も終わりましたね。バリ島では花火と爆竹で賑やかな新年を迎え、雨季の真っ只中、雨が降ったりやんだりのお天気が続いているそうです。皆様はどんなお正月をお過ごしでしたか?

ブログ187_宮島1私は実家のある広島に戻り、元旦は宮島に行きました。厳島神社は世界でも珍しい海上神殿。島に到着したときにはちょうど干潮で、大鳥居の下まで歩いていけました。満潮時には人の背の高さくらいまで海水面が上がるため、フジツボがぎっしりついているのですが、その隙間にたくさんの一円玉や五円玉がはめ込まれていました(笑) 夕方帰る頃には再び潮が満ち始め、大鳥居を船でくぐって、海上から参拝していたというかつての姿に思いを馳せました。

絵が好き、バリが好きで始めた「バリアートショールーム」ですが、本当にいい作品をお届けするためには、美術史を体系だって学び直す必要があると常々感じていました。今年はこれを実行しようと思っています。

年末に奈良を訪れて飛鳥〜奈良時代の国宝の仏像・建造物に触れてきましたので、さっそく復習を兼ねて、日本の美術史についてまとめてみました。日本史の授業でもおなじみの内容ですが、バリ絵画にも一部通じるところがあり、とても興味深く感じました。ご一緒に楽しんでいただければ幸いです。

<飛鳥時代・・・正面から拝観することを意識した造り>

法隆寺・玉虫厨子

法隆寺・玉虫厨子

聖徳太子が活躍した飛鳥時代には、渡来人に出自を持つ仏師・鞍作止利により法隆寺・釈迦三尊像(623年)を代表とする金銅仏や木彫仏が制作されました。アルカイック・スマイルと呼ばれる神秘的で素朴な微笑みをたたえた表情や杏仁形の目、左右対称の造りや衣文線の抽象的な表現を特徴としています。これらは朝鮮半島経由でもたらされた中国・北朝時代の影響なのだそうです。

この頃、紙や墨、絵具の作り方も大陸から伝えられました。題材は宗教画で、法隆寺の玉虫厨子は台座の四面に釈迦の前生の物語や菩薩像、仏舎利(釈迦の遺骨)の供養の様子が描かれています。

ブログ187_捨身飼虎図上写真の手前面に描かれた「捨身飼虎図」は釈迦の前生の物語で、飢えた虎の母子を哀れんだ釈迦が自身の身体を布施する場面です。この図は異なる時間の相をひとつの画面に描く「異時同図法」の典型的な例としても知られています。左写真のように、①王子が衣服を脱ぎ、②崖から身を投げ、③虎にその身を与えるまでの時間的経過を表現するために、王子の姿が画面中に3回登場しているのですよ。 

<より人間らしい描写に近づく>

続く白鳳時代は天武・持統天皇の時代を中心として、日本に律令国家が形成される時代です。持統天皇は天武天皇の妃。余談ですが、ふたりは戦の時ですら片時も離れなかった程に仲がよく、天武天皇の亡き後、持統天皇はその意志を継いで即位したと伝えられています。ふたりの天皇が同じ場所に埋葬されるのはとても珍しいことだそう。そのふたりの墓跡を今回奈良の飛鳥で見てきました。今はもうただの草原となっており、うっかり通り過ぎてしまいそうな場所ですが、そんなエピソードを聞くと、古代のロマンを感じます^_^

この頃になると、随や初唐様式の影響を受け、仏像もより自然で柔和な表情で、より実際の人間に近い身体つきで表されるようになります。薬師寺・薬師三尊像はその代表例。絵画では、法隆寺金堂壁画や高松塚古墳の壁画が有名ですね。弾力のある描線と隈取りによる陰影により、調和の取れた理想的な体つきに表現、初唐のスタイルが絵画にも及んでいることを示しています。

<宗教テーマから風俗にも着目>

さらに奈良時代になると、仏教は国家の保護を受け、東大寺の大仏を初めとして造寺、造仏が国家規模で進められました。それまでの金銅造や木彫に代わって、塑造や乾漆造などの新しい技法が取り入れられ、動きのある写実的な表現を特徴としています。例えば、興福寺・阿修羅像。その悲哀を込めた表情は、今日の私たちの心をも揺さぶりますよね。絵画では薬師寺・吉祥天像が有名ですが、宗教画としてだけではなく、服装、髪型、装身具など、当時の女性の風俗を描いたものとしても楽しめます。

八部衆・迦楼羅

八部衆・迦楼羅

この時代は唐を経由して、遥か遠く地中海地方や西アジア、インドの文化が日本に伝えられました。一般公開されていませんが、正倉院にはササン朝ペルシャのガラス器など国際色豊かな宝物が収められています。今回見学した興福寺・八部衆像(阿修羅像はこのひとつ)は仏教で古代インドの異教の神々を表したもので、バリ絵画でもおなじみの神鳥ガルーダ(迦楼羅)の姿もありました。奈良がシルクロードの東の終点と言われる所以ですね。

 

「ラーマーヤナ」より

バリの古典絵画(カマサン・スタイル)にも似たような変遷が見られます。14世紀にお隣のジャワ島の政変から逃れてきた知識階級によってもたらされた古典絵画。インド神話である「ラーマーヤナ」や「マハーバーラタ」をテーマに人物を平面的に表現し、1つの絵の中に複数の場面が描かれました。宗教画としての側面が強かった古典絵画もやがて題材を身近なものへと変えていき、20世紀のオランダ統治下においては、西洋絵画の影響を受けて、人物はより写実的に描かれるようになりました。

 こうしてまとめながら思うのは、絵は描かれているものやその背景にあるものを理解すると、何倍も楽しめるということ。これからも時々ブログでもご紹介していきたいと思います。おつきあいくださり、ありがとうございました。

 

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