肖像画の本質について考えてみました
こんにちは、坂本澄子です。
先日の震度5の地震、久し振りに揺れました。うちは家中に絵を掛けているため、ぐらっときた瞬間慌てて飛び起きました。幸い絵はそれぞれの場所にじっとしておりほっとしましたが、それも束の間、今度はマンションのエレベータが停止。このあたりのタワーマンションは軒並みエレベータが止まったらしく、保守作業員の方が順番に回って安全確認が完了するまで随分時間がかかりました。それでも、大事に至らずほんとによかったです。
さて、前回(5月3日)のブログでアンタラさんの新しいアトリエと肖像画についてご紹介しましたが、実は私自身も未消化になっていることがひとつありました。写真を見て描いたものは、外見が似ているかどうかに終始してしまい、結局は写真を超えることはできないのではないかという疑問です。
それが偶然出会ったあるデッサン画がするりと解決してくれました。
東京オペラシティのアートギャラリーにて開催中の舟越保武さんの「長崎26殉教者 未発表デッサン」展でのことです。写真のパンフレットの通り、精緻に描き込まれたものではありませんが、その表情は一度見たら脳裏に貼り付いて忘れられなくなるほど、その人の心情を描き出していました。
1597年に長崎で磔処刑されたキリシタン26人(6人が外国人宣教師、20人が日本人)の記念像の建立にあたり、イエズス会からその制作を依頼された舟越さんが描き起こしたデッサン画です。それぞれの顔はもちろんのこと、合わせた手や足、衣のひだに至るまで思いを巡らせた後を見てとることができます。
この作品展のパンフレットから引用しながらご説明しますと、400年以上も昔の話ですから、写真はおろか容姿を伝える絵画資料は一切残っていません。殉教者たちが生前書き記した手紙や処刑の際の様子を紹介した、ルイス・フロイスの『日本二十六聖人殉教記」などの情報を元に、作家はそれぞれの人物の性格や内面を捉え、100点近いデッサンを通じて、まさにゼロからその造形を行ったわけです。例えば、十字架の上から民衆にキリストの教えを説いたというパウロ三木は強い信念を もつ逼しい青年として描かれ、司祭が捕縛されたときに自分も捕らえるように願い出て、刑場で「自分の十字架はどこ」と尋ね たという最年少12歳のルドビコ茨木の面立ちにはあどけなさが漂い、また、喜びの涙を流し、讃美歌を歌いながら絶命したと いうフィリッボ・デ・ヘススの顔貌には安らぎと希望が感じられるというふうです。
ご存知かも知れませんが、舟越保武さんのご子息舟越桂さんも我が国を代表する彫刻家ですから、きっとどこかでご覧になったことがあるかも知れません。その宙を見つめるような穏やかな瞳には様々な内面が凝縮されており、不思議な感じさえします。
話を殉教者に戻しますと、この26名は冬の寒さの中を京都から長崎まで引き回されてきました。やせ衰え、身なりもひどいものだったと想像されますが、 作家は髪を整え、衣服も真新しい晴れ着に替えています。「私はせい惨なものは好まない。激しい動きも喧燥もきらいである」という作家の想いとその後の作品に一貫する特徴一均整のとれた統一感、不純なものを排した簡潔性が認められます。
つまり、実際とは違うかも知れないけれども、作家の目を通じて見た彼らの姿を描き出したわけです。
私は肖像画もこうでなければならないと思いました。肖像画には必ず依頼主がいます。本人の場合もあれば、ご家族、友人の場合もあります。いずれにしても近しい存在で、その人に対するイメージや特別な想いがあるはずです。
ならば、写真を外見上の手がかりとするにせよ、そのときの状況やご本人の気持ち、それを見ている依頼主の想いなどを描き手との間で共有することにより、依頼主の目を通じて捉えたその人の内面に迫ることができ、絵ならではの魅力を生み出すことができると考えました。
そこで今度は、アンタラさんにある女性を描いてもらうことにしました。モデルは以前Facebookアルバム「バリの笑顔」でたくさんのいいね!をもらったウタリ(17歳)です。この写真からわずか1年ですが、彼女は自分の考えを持った大人の女性に成長していました。アンタラさんにとっては初対面ですが、彼女の今を伝えてデッサン画をお願いしています。
この続きはサイトリニューアル後の「ピックアップ・アーティスト」のコーナーでご紹介します。5月下旬公開予定、ぜひご覧下さいね。
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