バリアートショールーム オーナーブログ
2014.1.8

ついに…『ラーマーヤナ』

こんにちは、坂本澄子です。ついに書くことにしました。

『ラーマーヤナ』ヒンドゥ教の神話で三大神のひとりで宇宙の秩序を司ると言われるウィシュヌ神の化身のラーマ王子が主人公の物語。紀元前2世紀に現在の形にまとめられた古いお話です。絵画のモチーフとして取り上げられることも多く、以前からずっと興味を持っていました。でも、いい加減な知識では書けない。ちょっと勉強しましたよ^^絵に描かれた見せ場を織り交ぜながらご紹介したいと思います。

ブログ112_ラーマーヤナ1

『ラーマとラクスマナ』Togog
プリ・ルキサン美術館蔵

 即位前日に継母の計略にかかりアヨディア王国を追放されたラーマ王子は、妻シータと弟ラクスマナと共にダンダカの森へと追われました。悪いことは重なるもので、シータの美しさに目を奪われた魔王ラワナは家来に彼女をさらってくるよう命じます。家来は黄金の鹿に姿を変え、「あら、きれい」と近寄ったシータをまんまと罠にかけ誘拐します。

(左)ダンダカの森で過ごすラーマ王子と弟ラクスマナ。落ち着いた色調の中に、彼らのすみかとなった美しい森が丹念に描き込まれています。

ブログ112_ラーマーヤナ2

『スダリとスグリワの戦い』作家不詳 プリ・ルキサン美術館蔵

ラーマ王子は神鳥ガルーダからシータがランカ島(現在のセイロン)にいると聞き、味方になった猿王ハヌマンに自分の指輪を託してシータの元へ行かせます。ちなみに、ガルーダはウィシュヌ神の乗り物で、インドネシアの航空会社の名前にもなってますね。風神ヴァーユの子ハヌマンは対岸からえいやっと跳躍しランカ島へ行き、ついにシータを見つけ出しました。報告を受けたラーマ王子の軍が到着したところで、魔王の手下を相手に一同大暴れ。サル(ハヌマン)とキジ(ガルーダ)を連れて鬼退治に向かうももたろうを彷佛とさせる展開です。ところで、ラワナというのは何かの因果で人になれず悪行を行うことが運命づけられている日本で言うところの鬼の大将なんです。日本の昔話にも似て、親しみを感じませんか? この物語最大の見せ場として絵画に登場することも多い場面。

(右)ガルーダがランカ島に偵察に行き、シータがいることをラーマ王子に報告する下りを絵巻物風に描いた19世紀頃の作品。高温多湿のバリ島は絵画の保存には過酷な環境。残念なことに古い作品が残っていることは少ないのですが、この作品はよい状態で保存されていました。

こうしてラーマ王子はシータを取り戻し、アヨディア王国に帰還します。「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」と喜びたいところですが、本当の悲劇はむしろここからなんです。ここが勧善懲悪が基本の日本の昔話とは異なるところ。

ラーマの即位後、人々の間ではラワナに捕らわれていた間のシータの貞潔についての疑いが噂されるようになりました。それを知ったラーマは苦しみ、ついにはシータを王宮より追放してしまうのです。シータは聖者ヴァールミーキのもとで暮すこととなり、そこでラーマの2人の子供クシャとラヴァを生みます。後にラーマはシータに自身の貞潔を証明するよう命じますが、このときシータは大地に向かって訴え、「貞潔ならば大地が自分を受け入れますように」と願いました。すると大地が割れて女神グラニーが現れ、 シータの貞潔を認め、シータは大地の中に消えていきました。ラーマは嘆き悲しみ、その後は二度と妃を迎えることなく世を去ったという悲しい結末です。

冒頭お話したように、ラーマ王子はウィシュヌ神の化身です。そのラーマ王子でもこのような弱さを持ち、時に過ちをおかすのかとちょっぴり切ない気持ちに。でも、この終わりなき善と悪との戦いこそがバリの精神世界そのものなのです。バロンをご覧になった方も多いと思いますが、善の象徴である聖獣バロンは悪の象徴である魔女ランダと永遠に戦い続けます。このように善と悪の行ったり来たりは、バリの文化・風習に様々な形で出てきます。

私も毎年お正月には「今年こそ怒らないぞ」と心に誓うのですが、すぐ些細なことに動揺したり腹を立てたりと本当にダメダメ状態。でも、人間の本質ってそんなものかも知れませんね。

来週からガルー作品展『静謐のとき』が始まります。この作品には悪のかけらも見られない。是非来て下さいね!

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