風情ある街並み谷中・根津・千駄木を散歩
こんにちは、坂本澄子です。
先週の日曜日、上野の国立東京博物館でやっているキトラ古墳壁画展を観ようとしたところ、なんと待ち時間70分。キトラ古墳と言えば、高松塚古墳に続く2番目の極彩色壁画として注目を浴びており、恐らく東京で観れる機会はこれが最初で最後かも…。うーんと悩んだ結果、お天気もいいことだし、いずれ奈良に遊びに行くこともあるだろうしと予定を変更、谷根千(谷中・根津・千駄木)を散歩することにしました。
まず旧岩崎邸を訪ね、そこから東大の本郷キャンパスに沿って北上し、根津神社、谷中ぎんざ、谷中墓地と円を描くように回り、上野公園に戻ってきました。8キロ位歩いたでしょうか。日頃の運動不足がたたり、最後は足がガクガクです(^o^;
特によかったのが旧岩崎邸。ボランティアのガイドさんのお話がとても興味深く、自分で見て回るだけではここまで楽しめなかっただろうなと思いました。ツアーは随時やっていますので、行かれたらぜひ参加されることをおすすめしまーす。
この洋館を設計したのはジョサイア・コンドルというイギリス人建築家。明治政府が文明開化を進めるために招聘した外国人建築家のひとりとして来日、鹿鳴館、上野の博物館など数々の洋館の建築に携わりました。でも、彼の建築家としての独自性が発揮されたのは、むしろ政府との契約が終わってから。政府のお雇い建築家ではできなかった自由な発想を三菱財閥との契約の中ではいかんなく発揮しています。
家族は日本家屋の方で生活し、この洋館は主にお客様をもてなす場所として使用されました。食後には男性客たちを撞球室へ。コンドル先生は茶室の感覚を取り入れ、本館と地下通路で繋がった離れとして設計しました。
それから、洋館と言えばシンメトリーな造りが普通ですが、ちょっと写真を見て下さい。左が高く、右へ行くほど低い段々構造になっていますよね。これは左側の建屋がお客様をもてなす場所で、右側はその準備室だからなのだそうですが、これも新しい発想です。
まだあります。男性がビリヤードに興じている間、女性たちは婦人客室でお茶を飲みながらおしゃべりを楽しんでいたそうですが、その部屋は写真の通り随所にイスラム様式が取り入れられています。おそらく、イギリスから日本へ渡ってきたコンドル先生がその中間にあるエキゾチックなイスラム世界を再現したのではないでしょうか。
西洋と東洋、そしてその間にあるイスラムを含めたこれらの融合は、バリにおいて伝統絵画が西洋絵画と出会い、さらに磨かれていったことを思わせました。
このコンドル先生、日本人の奥さんをもらい、日本に骨を埋めています。自ら多くの洋館建築を手がけただけでなく、西洋の建築技術を後進に伝え、彼に学んだ日本人建築家たちが東京駅舎、迎賓館、慶応義塾の図書館など、すばらしい作品を残しています。
旧岩崎邸を後にした後はしっとりとした風情漂う街並みをお散歩しました。こちらは写真にてお楽しみ下さい。
以前から一度行ってみたいと思っていた場所でしたが、それが思いがけない形で実現しました。独特の風情と雰囲気を持った街、東京のまた別の顔を見せてもらいました。
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