人生二毛作、それまでと違う生き方
こんにちは、坂本澄子です。
先日、ノンフィクションライターの大宮知信さんにお会いする機会がありました。
大宮さんは夕刊フジの週刊コラム『人生二毛作』を担当され、これまでも、人生の後半戦に違う生き方を選んだ人たちを数多く見てきたそう。
「いやあ、『人生二毛作』というのは、米を作った田圃で畑をやるのと同じで、全然違うことをしているという意味なんですが…」
実際は、それまでの仕事と何らか関係がある形で独立する人が大半だそう。事前にしっかり基盤を作った上で、みなさん会社を辞めていらっしゃる。
私が過去に積み上げたものをあっさりと手放して別のことを始めたのを見て、
「ここまで、いさぎよいと言うか、無鉄砲な人も珍しいですね〜」と、二毛作の太鼓判を押して下さいました(^o^;
この『人生二毛作=違う自分になってみたい』という願望は、多かれ少なかれ誰もが持ってるのでは。私が会社を辞める時、同世代の、特に男性の同僚が口を揃えて羨ましがってくれました。(羨ましがられるほどラクな生き方ではないですが^o^;)
そりゃ、怖かったですよ。
それでもやろうと思ったのは、どんなに準備万端で臨んでも、一瞬ですべてを失ってしまうこともある。だからこそ、バリの人々の神様に委ねる生き方に惹かれたのです。
そして、最後に背中を押されたのは、新しい世界にトランジットするための条件が整えられ、道が開かれたこと。そこに、何か大きな意思を感じました。
それまでは、いつも「自分でなんとかしなきゃ」と、走り回っては疲れていました。
もちろん努力することは大切なこと。それによって変えられることは多くあります。でも、人には変えられないことがあると思うのです。
以前、ある人がこんな言葉を教えてくれました。
God grant me the serenity to accept the things I cannot change; courage to change the things I can; and wisdom to know the difference. (The Serenity Prayer : ラインホルド・ニーバー)
変えられないことを受け入れる静穏さを。変えられることを変える勇気を。そして、変えられることと変えられないことを識別する知恵をお与え下さい。
私がバリ絵画を通じてお伝えしたいことも、実はこういったことなのです。
バリに移住することも、日本にいてバリの人々のような生き方をすることも難しい。でも、自分に与えられた道を知り、肩の力を抜いて行きていくことはできるのでは。そんなふうに思っています。