バリアートショールーム オーナーブログ
2013.4.10

「人物描写にリアリズムを与えたオランダ人 ボネ」

こんにちは、坂本澄子です。花冷えという言葉の通り、ぽかぽか陽気の翌日はまたコートが欲しくなったりとなかなか落ち着きませんね。どうか体調を崩されませんように。私はと言えば、昔から「元気で長持ち」が取り柄、御陰さまで風邪もひかずに頑張っています。

ウブドのアトリエで制作活動を行うボネ

ウブドのアトリエで制作活動を行うボネ

さて、今日は「バリ絵画に影響を与えた外国人」シリーズの最終回、人物描写において西洋の解剖学に基づく表現力をもたらしたオランダ人画家を紹介します。

それまでのバリ伝統絵画の人物描写は、斜め横向きで顔や身体を描き、どちらかと言えば画一的かつ平面的な表現でした。芸術解剖学は人体の構造、つまり骨組みや筋肉のつき方を学び、より写実的に人物を描写する基礎学問です。1920年代、オランダ統治下にバリを訪れた外国人画家の中でも、このような技法をもたらすことでとりわけ大きな影響を与えたのはルドルフ・ボネではないでしょうか。

1895年にオランダの商家に生まれ、アムステルダムの美術学校で伝統絵画についての学術教育を受けました。その後イタリアに渡り、教会の壁や天井を飾る壮大なフレスコ画に感銘を受けます。シュピースがアジア的なものに憧れ、絵画だけでなく舞踊、儀礼など芸術全般の広い範囲に於いてバリの伝統にのめり込むように活動したのに対して、ボネは西洋絵画の学術的伝承という役割を意識していました。バリにやってきたのは1929年で、40年以上に渡りバリで活動しました。彼はパステルを用いた人物画を得意とし、しなやかな体躯を持つバリの若い男たちを好んでテーマに取り上げ自ら制作を行う傍ら、学術的な見地から西洋の技法を紹介しています。

ウィレム・ジェラルド・ホフカー「グスティ・マデ・トゥウィ嬢の肖像Ⅱ」(1943)

ウィレム・ジェラルド・ホフカー「グスティ・マデ・トゥウィ嬢の肖像Ⅱ」(1943)

同時代に活躍したオランダ人画家として私が一票を投じたいのは、ヴィレム・ジェラルド・ホフカー。彼はボネと同じくパステルを使って、バリの若い女性の柔らかで滑らかな肌を巧みに表現しています。その瑞々しさは素晴らしいです。余談になりますが、私がこの「バリアートショールーム」でご紹介しているアンタラさんの作品に惹かれたのもほぼ同じ理由からです。脱線ついでにもうひとつ。戦前のバリは男性も女性も上半身裸だったため、1922年、ドイツ人医師グレゴール・クラウスの写真集「バリ島」でその様子が紹介されると、バリは一躍「最期の楽園」ともてはやされ、オリエンタリズムが一気に広まります。ヨーロッパから訪れる観光客が急速に増えたのはこの時期でした。

デワ・プトゥ・ベディル「ジョゲッド・ピンギタン・ダンス」(1975)

デワ・プトゥ・ベディル「ジョゲッド・ピンギタン・ダンス」(1975)

前回ご紹介したシュピースやボネらの活躍により、バリ絵画は西洋技法を取り入れその表現力を増し、“ウブド・スタイル”と呼ばれる様式へ進化していきます。それまでテーマとしては宗教的な物語が中心だったのに対して、祭礼、農耕、闘鶏、機織りといった村人たちの日常生活が取り上げられるようになり、その中で人物が生き生きと描かれるようになったことも特徴のひとつです。写真の作品を見ても、踊り手たちの筋肉の動きがよりリアルに表現されているのがわかります。

ボネはバリの芸術家協会「ピタ・マハ」創設の主要メンバーとして、バリ絵画の芸術的地位の確立に尽力すると共に、1956年には、ウブド王宮の当主チェコルダ・スカワティと共に「プリルキサン美術館」の設立に携わり、バリ絵画の発展に大きく貢献しました。「プリルキサン美術館」ではバリ絵画の作品が年代を追って紹介されており、その歴史と進化を知ることができます。ウブド中心部の便利な場所にありますので、バリ行かれる機会があれば是非立ち寄ってみて下さいね。

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