バリ絵画の歴史③ 光を取り込む風景画
こんにちは、坂本澄子です。
風景画というジャンルを作ったのは印象派の画家たちだったそうです。それまで絵の具は保存が効かず、画家や助手が絵の具を手練りしながら描いていました。ところが、チューブ式の絵の具が開発されると一気に制作の自由度があがり、絵の具とキャンバスを持って、戸外へ出て描けるようになったというわけです。
モネは、パロトンだった実業家・オシュデの次女ブランシュに手伝ってもらい、手押し車に画材一式を積み込んで、制作に出かけたそうです。最初の妻カミーユが亡くなった後、オシュデの妻だったアリスと結婚したので、ブランシュはその後もずっとモネの助手を務めることとなりました。
「自分のアトリエは空の下だ」と言ったように、素早いタッチで一瞬の光と影を捉えたモネの絵。光が移ろうまでのわずかな時間をうまく使うために、ある工夫をしていました。毎日セーヌ川の支流沿いを移動しながら、この時間帯はこの場所でこの絵、次の時間帯は別の場所で別の絵というふうに、複数の作品を同時進行で描いていたのだそうです。こんなふうに描かれた風景画は、パリの密集した住宅の薄暗い部屋にも光を運び込んでくれました。
バリ島で風景画が描かれるようになったのは、ヨーロッパから来た画家たちの影響によるもの。特に、ドイツ人画家シュピースの幻想的なタッチは、いまでもシュピース・スタイルとして人気を博しています。
シュピースがバリ島に滞在した’20〜30年代、彼の弟子だった2人の青年ソプラットとメレゲックは、バリの芸能の徒弟制度にならい、師の描く通りを真似て技術を習得する方法で、絵を学んでいました。模倣から脱せない弟子たちを見たシュピースは、あるとき「僕の絵を真似るのではなく、君たち自身のやり方で描いてごらん」とアドバイスしたそうです。彼らは困惑しながらも自身の表現を模索し、その精神は80年の歳月を超えて受け継がれ、同じアグン・ファミリーにガルー、ウィラナタといった人気作家を輩出しました。
ガルーの作品は空気感のあるふんわりとした柔らかい風景が特徴で、バリ島の風景の雰囲気をよく表していると思います。人物が描かれているので、その人になったつもりで見ると、絵の中に入っていきやすく、より臨場感を持って感じることができます。ひんやりとした朝の空気だったり、風が椰子の葉をそよがせる音だったり。実際、画中の人物は画家自身をなぞらえたものであることが多いそうです。
熱帯の島バリで、屋外にイーゼルを立てて絵を描く画家の姿をみたことはありませんが、バリの民家は建物自体が非常にオープンな作りなので、自然と一体になって生活していると言っても過言ではありません。
生まれてこのかた脳内にインプットされたバリの様々な風景の蓄積が、夢の中の風景のようでいて、リアルに五感に働きかけてくる独特の作品を生み出すインスピレーションの源になっています。
その昔、ヨーロッパのブルジョアたちが愉しんだように、ガルーの作品でお部屋に光を取り込んでみませんか。
<関連ページ>
ガルー作品ページ・・・5点在庫があります。実物をご覧いただくこともできます。
ウィラナタ作品ページ・・・ガルーの実弟。違う光の表現がこれまた魅力