12年ぶりに我が家を訪ねて思ったこと
こんにちは、坂本澄子です。
いきなり私事で恐縮ですが、東京に来る前に20年ほど関西に住んでいました。その頃住んでいた家を売却することになり、昨日契約に行ってきました。その家を見るのは引っ越して以来ですから、かれこれ12年ぶり。あのあたりは当時とあまり変わっておらず、懐かしい景色に思わず胸がじーん。「駅からの坂がキツかったなあ」などど、思い出をなぞりました。決して平坦な道ではなかったけれど、それは今の自分に繋がっているんですよね。
相手の方とは初めてお会いしたのですが、同世代の感じのいいご夫婦。嬉しかったのは、その家を買うことを決めて下さった理由が、以前私がその家を買った時と同じ理由だったこと。しかも、「初めて見に来たときに鴬が鳴いたのがとても印象的で、その後も色々物件を見ましたが、やっぱりここに決めようって思いました」と、背中を押された理由まで一緒だったのにはビックリ、そしてとても温かい気持ちになりました。同じ感性を持った人に家を受け継いでもらえる、これもきっと何かのご縁ですね。
変化や多様性に順応し受け入れることが重視されることの多い昨今、こんなふうに変わらないものにほっとする気持ちが、ややもすると進歩がないと受け取られることがあります。人から言われなくても、自分で何となく後ろめたい気持ちになったりとか…(^o^; でもね、バリの人たちの生き方を見た時に、変わらないものを自分の中心軸として持つことの大切さをいつも思い出させられるんですよ。
ウブドなどの農村部に行くと、今でも共同体(バンジャール)を基盤とする伝統的な生活が色濃く残っています。農業に従事していない人であっても祭礼は共同で行いますから、月に何度かは仕事を休んで寺院に出掛け、大きな祭礼の前などは1ヶ月以上も前から準備を行います。そのため、旅行などで島の外に出かけることはあまりないですし、ホテルやレストランなどで働いているのは(労務管理上の理由から)主にはジャワから出稼ぎに来ている人たちです。それくらい、徹底しており、そこには「神々の声に耳を傾け、自然と共存する」という共通の世界観があるように思います。
同じ農耕民族の日本も、少し前までこれに似た価値観がありましたよね。日本人がバリの田園風景画を見て「懐かしい」と感じる理由のひとつがそれではないかと思います。私も初めてバリに出会った時、そう感じました。過去を懐かしむのは一見立ち止まっているように思えるかも知れませんが、歩いて来た道程を振り返ることにより、現在の立ち位置と進むべき道を再確認する行為だとも言えるのではないでしょうか。
バリの風景画家ウィラナタは、10歳の時に亡くなった父親との思い出から呼び起こされる光の風景を描き続けています。感傷的な想いからというよりも、少年時代の原風景が、現在の画家自身の心の拠り所となり、創作活動においてはインスピレーションの源泉となっているからです。いつもはぶっきらぼうな彼が父親のことを語る時の目は、静かな情熱に満ちています。
そんな画家の素顔を少しでもお伝えできればと写真とビデオを録ってきました。7月29日(火) ウィラナタ新作鑑賞会『光の風景』でご覧いただきたいと思っています。また、作品の繊細な美しさを現物で見ていただきたいので、その日まで敢えてウェブにはアップせずその日を初公開とする予定です。(30日にウェブにも掲載します)
アートと対面し、時の経つのを忘れて一人静かに楽しむのもよし、他の人と会話を楽しむのもよし。そんな空間をご用意してお待ちしています。20時までやっていますので、是非お仕事帰りにお立ち寄りください。
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