バリアートショールーム オーナーブログ
2013.4.27

原画の持つ力

こんにちは、坂本澄子です。

春の暖かな日差しが戻り、ゴールデンウィーク初日をちょっぴりウキウキとした気持ちで迎えられたのではないでしょうか。

先日はバリ絵画展「青い海を描かない作家たち」にお越しいただき、また全面オープンしたホームページにも多数のアクセスをいただきましたこと、改めてお礼申し上げます。まだ始まったばかりですが、最高のアートスペースを目指して一歩ずつ進んでいきたいと思います。

3日間の絵画展で色々なお客様とお会いし、人と絵の関わりについて改めて考えさせられました。今日はそのひとつをお話したいと思います。

ユトリロ代表作「ラパン・アジル(1910)」

ユトリロ「ラパン・アジル」(1910)
ポンピドゥ・センター国立近代美術館所蔵

初日の朝、大きな深紅の花束が届きました。このような粋な計らいをして下さるのはどなただろうとお名前を見ると、前職でお世話になったある会社の会長さん。そしてオープンと同時にご本人が入って来られ、まるで映画の一コマのようです。ひとしきりお話する中で、絵画との馴れ初めについてお聞きすることができました。今から30年前、会社を興こされた頃のこと。銀座の老舗画廊で初めてユトリロの作品を生で見て、心を揺さぶられるような感動を覚えたそうです。ユトリロと言えばフランスを代表する近代画家、しかもバブル絶頂期にあって”ものすごい”お値段がついていました。その時決心されたことは「いつかはユトリロの絵を買えるようになりたい」だったのです。その気持ちがつらい時期にあってもその人を支え続け、ついに手にしたのは10年後だったそうです。そして、事業が安定し拡大路線に入った頃、次に惹かれたのが直線的な描写が特徴のビュッフェ。ビジネスに向き合う時の緊張感や研ぎすまされた感覚にぴったり添うような手応えがありました。会長さんは今でもビジネスの重要な場面で気持ちを高めたい時、ビュフェの作品の前に立つそうです。その会社は従業員600人を超える規模に成長し、昨年念願の東証上場を果たされました。

原画には多かれ少なかれ、そのように人を動かす力があると思います。作家のその時の思考や感情がエネルギーとなって伝わってくるのです。それをどう受け取るかは、見る人に完全に委ねられます。それだけに「作品との出会い」は「人との出会い」と同じように重要で、ある時には人生の転機になることさえあります。普段からよい作品に触れる機会を、特にお子さんがいらっしゃる方は積極的に増やしていただければと思います。

バリは島全体が観光業で成り立っており、絵画はハイセンスなお土産品として喜ばれています。しかし、流れ作業で大量生産されるお土産絵画は論外としても、使い回されたパターンを使って作業として絵を描くことと、作家自身の内側から湧き出るエネルギーをキャンバスに表現することは全く異なる次元の活動だと思います。絵画を生活の糧としてではなく、芸術活動として位置づける芸術家集団として、1936年バリ島ウブドでピタ・マハ協会が発足しました。初代会長は近代バリ絵画を代表する画家のイダ・バグース・プトゥ(Ida Bagus Putu)、当時のメンバーにはイ・グスティ・ニョマン・レンパッド(I Gusti Nyoman Lempad)やこのブログでもご紹介したシュピースやボネといったバリ絵画の近代化に影響を与えた外国人画家もいました。その後、協会自体は解散しましたが、その精神は形を変えて現在に引き継がれています。

「バリアートショールーム」は、プリ・ルキサン、ネカ、アルマなど、島内の主要美術館に作品が所蔵され、画家名鑑に名を連ねるクラスの画家の作品を、手の届く価格帯でご提供することを基本コンセプトに据えています。無名の若手作家であっても、表現者としての精神性に優れていると判断すれば積極的に紹介しています。この朝の出来事は、私たちに原点に立ち返る機会を与えてくれました。

絵画展でも気に入った作品にじっと見入っておられる姿が見られました。写真画像では伝えきれない作家の想いをそれぞれに感じ取っておられたのではないでしょうか。バリの伝統スタイルはインド神話や登場人物、その祭礼に集う村人たちが題材になっていることが多く、その意味や背景にあるものを知ることで更に味わいが増します。会場でも解説の掲示などの工夫をしましたが、来週からは「バリ絵画をもっと楽しむ法」と題して新シリーズをスタートします。どうぞお楽しみに。

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2013.4.23

「バリ絵画展」たくさんのご来場ありがとうございました

こんにちは、坂本澄子です。バリ絵画展「青い海を描かない作家たち」に多くの方にご来場いただき、誠にありがとうございました。中には冷たい小雨まじりの中、遠方から足を運んで下さった方もあり、感激致しました。これだけまとまった形でバリ絵画を見たのは初めてという方も多く、スタイルの豊富さとそれぞれの奥深さを楽しんでいただけたのではないかと思います。

限られたスペースではありましたが、バリ絵画を代表する6つのスタイルから合計27点の作品を厳選して展示しました。入口を入ってすぐ左がバリ絵画の伝統的なスタイル、正面が細密風景画のシュピース・スタイル、右奥が熱帯花鳥画及びモダンと時代を追って見ていただける展示構成にしていました。バリ絵画の歴史と各スタイルの解説をじっくり読まれるお客様も。

ライさんの細密画は男性に人気

ライさんの細密画は男性に人気

アンケートを拝見しますと、気に入った画家のトップ3は僅差で、ガルー(細密風景画)、ラバ、エベン(いずれも熱帯花鳥画)が並び、田園風景や緑に抱かれるような花鳥画に親しみを感じた方が多かったのと、バリ絵画ならではの細密画も人気で、特に男性の方がライさんの作品の前で足を止めてじっくりと見入っておられるのが印象的でした。画面にぎっしりと描き込まれたこのスタイル、モチーフの意味がわかるとバリの文化や人々の生活が見えてくるのも楽しみのひとつです。描かれているものの背景を知っていただきたいと、解説やバリの風景のスライドーショーなど、展示上の工夫もしましたが、それぞれに楽しんでいただけたようです。

最期にアンケートのコメントの一部をご紹介します。常設やさらに多くの作品展示を希望される声などありがたいご意見ばかりで本当に励まされました。次回もどうぞお楽しみに。アンケート

 

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2013.4.20

素晴らしい出会い

こんにちは、坂本澄子です。昨日からバリ絵画展がスタートし、同じタイミングでホームページを全面公開しました。ブログだけが先行した状態だったにも関わらず、多くの方に「バリアートショールーム」を訪れていただき、時には温かい励ましのコメントをいただきました。本当にありがとうございます。

今日はこのホームページを立ち上げるにあたり、大変お世話になった株式会社シンクマックスの加藤朝子社長、そして以前のブログにも書いた中山マコトさんとの出会いをご紹介したいと思います。

バリ絵画に強く惹かれながらもキャリアチェンジへの第一歩が踏み出せなかった頃、たまたま駅の本屋で目に入った「フリーで働く!と決めたら読む本」がきっかけでした。そのタイトルは、私のその時のもやもやした心の中にすっと入っていくのを感じました。引き寄せられるように手に取ると、電車の中で降りる駅を乗り過ごしてしまうのも構わず、むさぼるように読みました。まるで私のために書かれたと思えるくらい的確に、不安に思っていたことのひとつひとつに対する答えがそこにありました。もうお分かりかも知れませんが、その著者が中山さんです。

中山さんは今では著書を20冊以上(私が読んだのはその当時最新作でした)もお持ちの、業界でも知る人ぞ知るマーケティングのプロです。しかし、独立当初は色々なご苦労もされ、もがきながら学んだ経験とそこから来るアドバイスがご自身の言葉で熱く語られていました。その中で特に私の心を捉えたのは、万人にウケることを目指すのではなく、「あなたの能力を心から必要としているのはどんな人なのかを徹底的に考えよ」という言葉でした。まさにタイトル「フリーで働く!と決めたら読む本」が好例の通り、あるピンポイントな状態にある人(=自分の能力を生かせる相手)にシンプルだが一旦刺さると抜けない言葉で語れと言われていました。私はバリ絵画の物販自体をやりたかったのではなく、私の生き方、考え方を含めて共感して下さる方(お客様)と絵画という表現手段を通じて一生もののおつきあいをしたいと思っていましたが、それが市場として存在するのかについては不安がありました。それに対する答えが上記の言葉だったのです。私は背中を押されるのを感じました。

中山さんは私のやりたいことを一通り聴いて下さった後、そのメッセージを「必要としている人の心」に届くようにするためのホームページの設計図を提案し、それを構築する制作会社としてシンクマックスの加藤さんを紹介して下さいました。加藤さんもWebマーケティングのプロとして素晴らしい働きをして下さいました。私は時々思いつきで突っ走ってしまうところがあるのですが、加藤さんのいい意味での頑固さが、最初に決めた基本コンセプトという根幹部分で軸足がぶれてしまわないよう守ってくれました。それは「ここに、あなたが知らないバリがある」に表現されています。スタッフの坂東さんも初めてだらけの私の質問にいつも迅速に対応して下さいました。お二人に共通していたのは、「それは私たちの仕事の範囲ではありませんと線を引く」事なく、自分たちの価値は私のビジネスが成功して、つまりその先のお客様に何らかの価値を与えて、その結果としてビジネスをいただけて「なんぼ」だという姿勢を貫き、常に同じ目線で物事を一緒に考えて下さったということです。私も前職でITに関わった経験がある者として、最期の一週間はシステムの稼働に不安がありましたが、最期まで仲間として一体感を持ち続けることができたのは、まさにこの点によるものと思います。

私は前職時代にも優秀な仲間と志を同じくし苦楽を共にして働くことに大きな喜びを感じていましたが、今回も同様、ここにご紹介した仲間たちがいなければこのサイトは実現できなかったし、新たなビジネスのスタートをきる事もできなかったと思います。この場をお借りして、中山さん、加藤さんに深くお礼を申し上げると共に、素晴らしい仲間がこのホームページ、そして私の活動そのものを支えてくれているのだということをお伝えしたいと思います。まだ始まったばかりで、改善すべき点、新たに取り組むべき点が多々あると思いますが、このサイトが皆様のお気に入りのひとつとなり、皆様に対する何らかの価値を提供する場となりますよう努力を続けていきたいと思います。

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2013.4.17

表現者としての私

こんにちは、坂本澄子です。いつもバリ絵画のご紹介をしているので、今日は私自身が絵を描くことについて、お話をさせていただきたいと思います。

近日公開予定の「バリアートショールーム」の私のプロフィールの中でも触れているのですが、自分の楽しみで絵を描いています。最初は見よう見まねで、次に好きな画家の作品を模写をかなりやりました。マグリット、ゴッホ、マチス、クレイ、ルソーなど。ようやくオリジナルな作品が描けるようになったのはここ2〜3年でしょうか。

縁あって5年前から東京荒川区の絵画教室に通っていますが、明輪勇作先生がふと口にされた言葉によって大変勇気づけられたことがあります。それはこんな言葉でした。「人生の後半戦の入り口が絵の世界ではむしろ新人。これまでの人生でいいものがいっぱい蓄積されている。後はそれを取り出しキャンバス上に再構成する技術さえ身につければ、いい絵が描けるようになるよ」

坂本澄子「ウブドの思い出」 パステル P30

坂本澄子「ウブドの思い出」
パステル P30

以来、絵を描くことは私にとって心を解きほぐす時間、自分の内側にあるものをアウトプットする機会へと変わっていきました。そんな中いつか描きたいと思っていたのがバリの風景。私が行くのはなぜかいつも雨期で、昼過ぎから強いスコールが降ります。大抵1〜2時間降るとやんで、雲間から明るい空が顔を出すのですが、水田に映った空がイメージとして頭の中にありました。それを取り出して表現してみたい。明輪先生の熱心なご指導の下、その作品が先日ようやくでき上がりました。中央美術協会の東京中美展に出品、優秀賞をいただくことができ、二重の喜びとなりました。

バリの画家さんたちも同様に絵に向き合う時様々な想いがあるのではないかと思います。今度、アトリエを訪ねる時にはそんなお話も聴ければと思っています。

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2013.4.13

【4月19〜21日】五感で楽しむアートスペース

夕刊フジの人気連載コラム「人生二毛作」で紹介していただきました。

バリ絵画の専門サイト「バリアートショールーム」へはこちら

こんにちは、坂本澄子です。バリ絵画展「青い海を描かない作家たち」の開催まで後一週間となりました。会場で皆様とお会いできるのを楽しみにしています。今回、作品そのものはもちろんですが、絵を鑑賞する場にもこだわっています。題して「五感で楽しむアートスペース」。 私のビジネスの屋号を「アートスペースエス」とすることにしました。サイト名は変わらず「バリアートショールーム」です。いずれも名付け親はマーケティング業界で知る人ぞ知る中山マコトさん。中山さんとの出会いについては別の機会に譲るとして、素敵な名前をつけて下さったことに心からお礼申し上げたいと思います。ちなみに、エスはSpecialのSだそうです。 この「アートスペースエス」のゴールとして「五感で楽しむアートスペース」を目指しており、今回実験的な試みを幾つかやってみたいと考えています。今日はそれらをご紹介させていただきますね。

ゆっくりと時が流れていく

自然の奏でる音に包まれて
ゆっくりと時が流れていく

まず、視覚。一番はやはりバリ絵画の素晴らしさを皆様ご自身の目で確かめていただくことです。作品をより楽しんでいただくために、私の好きになったバリ島ウブドを知っていただきたい。そのためのお手伝いとして、現地で撮って来た1000枚以上の写真をスクリーンショーで上映します。 次に、聴覚。バリを訪れる度に感じること、それは自然の作り出す音です。ヴィラのすぐ下を流れる小川のせせらぎ、その向こうの田んぼから聞こえてくるカエルの声。椰子の木が風にそよぐ葉音。夜になると虫の鳴き声に交じって聞こえてくるガムランの音色。これらをバリから持ち込みたかったのですが、質が問題でした。そこで、バリの音ではないのですが、音の研究家の伝田文夫さんがこだわりにこだわって全国各地で自ら録音して来られた最高の自然音をモーツァルトに乗せてお届けします。 そして、嗅覚。バリと言えば朝夕捧げるお線香なのですが、狭いギャラリーに煙が充満しまっても…。そこで、バリの太陽の恵みをいっぱいに受けて育ったハーブのアロマをふんわりと。 味覚については悩みました。考えに考え、バリならではということで、ルアック・コーヒーを取り寄せました。コーヒー好きの方は会場で「ルアック・コーヒー」とお声掛けてください。希少なもののため、1日7杯限定でご用意。なくなりましたら何とぞご容赦下さい。

GALUH「残照の家路」 アクリル/紙 23㎝x31㎝

GALUH「残照の家路」
アクリル/紙 23㎝x31㎝

残念ながら触覚については今回ご用意できませんでしたが、次回に向けて、皆様からもアイデアをいただければ幸いです。その代わりにと言っては何ですが、GALUHさんの最新作がぎりぎり間に合いました。小品ながら、朱色に染まる残照がとても印象的で存在感のある作品です。是非会場でご覧になって下さいね。 では、27点の作品たちとご来場をお待ちしています。

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2013.4.10

「人物描写にリアリズムを与えたオランダ人 ボネ」

こんにちは、坂本澄子です。花冷えという言葉の通り、ぽかぽか陽気の翌日はまたコートが欲しくなったりとなかなか落ち着きませんね。どうか体調を崩されませんように。私はと言えば、昔から「元気で長持ち」が取り柄、御陰さまで風邪もひかずに頑張っています。

ウブドのアトリエで制作活動を行うボネ

ウブドのアトリエで制作活動を行うボネ

さて、今日は「バリ絵画に影響を与えた外国人」シリーズの最終回、人物描写において西洋の解剖学に基づく表現力をもたらしたオランダ人画家を紹介します。

それまでのバリ伝統絵画の人物描写は、斜め横向きで顔や身体を描き、どちらかと言えば画一的かつ平面的な表現でした。芸術解剖学は人体の構造、つまり骨組みや筋肉のつき方を学び、より写実的に人物を描写する基礎学問です。1920年代、オランダ統治下にバリを訪れた外国人画家の中でも、このような技法をもたらすことでとりわけ大きな影響を与えたのはルドルフ・ボネではないでしょうか。

1895年にオランダの商家に生まれ、アムステルダムの美術学校で伝統絵画についての学術教育を受けました。その後イタリアに渡り、教会の壁や天井を飾る壮大なフレスコ画に感銘を受けます。シュピースがアジア的なものに憧れ、絵画だけでなく舞踊、儀礼など芸術全般の広い範囲に於いてバリの伝統にのめり込むように活動したのに対して、ボネは西洋絵画の学術的伝承という役割を意識していました。バリにやってきたのは1929年で、40年以上に渡りバリで活動しました。彼はパステルを用いた人物画を得意とし、しなやかな体躯を持つバリの若い男たちを好んでテーマに取り上げ自ら制作を行う傍ら、学術的な見地から西洋の技法を紹介しています。

ウィレム・ジェラルド・ホフカー「グスティ・マデ・トゥウィ嬢の肖像Ⅱ」(1943)

ウィレム・ジェラルド・ホフカー「グスティ・マデ・トゥウィ嬢の肖像Ⅱ」(1943)

同時代に活躍したオランダ人画家として私が一票を投じたいのは、ヴィレム・ジェラルド・ホフカー。彼はボネと同じくパステルを使って、バリの若い女性の柔らかで滑らかな肌を巧みに表現しています。その瑞々しさは素晴らしいです。余談になりますが、私がこの「バリアートショールーム」でご紹介しているアンタラさんの作品に惹かれたのもほぼ同じ理由からです。脱線ついでにもうひとつ。戦前のバリは男性も女性も上半身裸だったため、1922年、ドイツ人医師グレゴール・クラウスの写真集「バリ島」でその様子が紹介されると、バリは一躍「最期の楽園」ともてはやされ、オリエンタリズムが一気に広まります。ヨーロッパから訪れる観光客が急速に増えたのはこの時期でした。

デワ・プトゥ・ベディル「ジョゲッド・ピンギタン・ダンス」(1975)

デワ・プトゥ・ベディル「ジョゲッド・ピンギタン・ダンス」(1975)

前回ご紹介したシュピースやボネらの活躍により、バリ絵画は西洋技法を取り入れその表現力を増し、“ウブド・スタイル”と呼ばれる様式へ進化していきます。それまでテーマとしては宗教的な物語が中心だったのに対して、祭礼、農耕、闘鶏、機織りといった村人たちの日常生活が取り上げられるようになり、その中で人物が生き生きと描かれるようになったことも特徴のひとつです。写真の作品を見ても、踊り手たちの筋肉の動きがよりリアルに表現されているのがわかります。

ボネはバリの芸術家協会「ピタ・マハ」創設の主要メンバーとして、バリ絵画の芸術的地位の確立に尽力すると共に、1956年には、ウブド王宮の当主チェコルダ・スカワティと共に「プリルキサン美術館」の設立に携わり、バリ絵画の発展に大きく貢献しました。「プリルキサン美術館」ではバリ絵画の作品が年代を追って紹介されており、その歴史と進化を知ることができます。ウブド中心部の便利な場所にありますので、バリ行かれる機会があれば是非立ち寄ってみて下さいね。

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2013.4.6

「熱帯幻想風景を描いたドイツ人 ヴァルター・シュピース」

こんにちは、坂本澄子です。昨日バリから連絡があり、GALUHさん(シュピース・スタイル画家)の新作を絵画展に間に合うよう送ってくれるとのこと。ちょうどこの原稿を書いていた時だったので、とても嬉しい気持ちになりました。

前回ご紹介したアリー・スミットは戦後に活躍した画家ですが、シュピースと次回ご紹介するボネは1930年代のバリ・ルネッサンス期に活躍した芸術家です。特に、シュピースは画家として西洋絵画の技法を紹介しただけでなく、観光化によって廃れ行くバリ伝統芸能や儀礼、音楽の保護に私費を投じ、広くその芸術復興に寄与したことから「現代バリ芸術の父」と呼ばれています。

1895年モスクワ生まれ。ドイツ人外交官の息子としてロシア帝政の上流社会で育ち、1942年に日本軍の東インド侵攻によりセイロン島へ移送される途中で洋上に没するまでの47年間、激動の人生を送りました。第一次世界大戦中は敵国人としてウラルの抑留キャンプに収容され、そこで触れた遊牧民の素朴な生活やプリミティブ・アートに触発され、独特の人生観、芸術観が形成されていきます。そして1923年、“魂を持つ人々と暮らす”ため戦後の荒廃したヨーロッパを離れ、オランダ領東インド(現在のインドネシア)へと向かったのです。ウブド王宮の招きに応じてバリに移住したのは1927年のこと。彼の世界観についての説明は別の機会に譲るとして、今日は彼の作品の紹介に注力したいと思います。解説の一部は坂野徳隆さんの「バリ、夢の景色 ヴァルター・シュピース伝」(文遊社)から引用しました。シュピースの芸術活動やその背景にある精神生活を知る上で大変参考になりますので、ご関心があれば是非読んでみて下さいね。

シュピースとその代表作「風景とその子供たち」

シュピースとその代表作「風景とその子供たち」

シュピースの作品は「風景とその子供たち」に代表されるように、夢と現実が混在するような幻想的な作風が特徴です。後のシュピース・スタイルの原型は1927年の「夢の景色」に見ることができます。その名の通り、彼が見た予言的な夢の情景を絵にした作品です。二つの地平線を使い、異なる空間を一枚の絵に表現しています。この5年後に描かれた「鹿狩り」では上下に絡み合ったふたつの地平線を軸に、いくつもの異なる景色が描かれ、その技法はその後熱帯幻想絵画へと発展、定着していきます。それでは、シュピースは異なる時間、空間軸をどのように一枚の絵に表現していたのでしょうか。作品を例に見て行きたいと思います。

シュピース「村の通りの眺望」(1935)

シュピース
「村の通りの眺望」(1935)

「村の通りの眺望」

中央の木が絵を左右に二分割し、さらに上下の地平線により四分割されています。左下に小屋の陰に腰を下ろす老人が描かれ、その右の柵の向こうに幻想的な斜光が奥行きを出す、見通しのきいた村の通りが伸び牛を後ろから急かす農夫の姿が見えます。その上の空間には、天秤棒に荷物を下げ、軽い足取りで反対方向へ向かう農夫。上下を分割すれば遠近がそれぞれ左右の場面で均衡していますが、上下は水と油のように反発しています。しかし、シュピースは彼が得意とする中間距離の木々の深い陰影を使ってその反発をうまく溶解し、一瞥しただけではその幻想的なコンポジションに気がつかないほど自然な風景画に仕上げています。

シュピース「朝日の中のイッサー」(1939)

シュピース「朝日の中のイッサー」(1939)

「朝日の中のイッサー」

後期作品。深い陰影、長く伸びる農夫や牛の影、蒼色に輝く黎明の棚田の風景を右手前の人物が見下ろす構図です。前期のように異なる地平線は見られませんが、右上からの斜光と椰子の葉の非連続性がさりげない幻想性を表しています。夢と現実の境目は曖昧で、それを判断しようとする観察者の意識は大抵斜光か陰影に吸い込まれ、気がつくと絵のランドスケープの中にいるのです。

シュピースは生涯あまり多くの作品を残していません。原画が失われ写真などで見られるものを含めてもせいぜい100点くらいと言われています。また作品のほとんどがバリ島外に点在しているため、バリの美術館でも彼の作品の原画を見ることはできませんでした。それだけに一層、その不思議な作風とともにミステリアスな存在感を持って迫ってきます。

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2013.4.3

「バリ絵画に色彩を与えたオランダ人 アリー・スミット」

こんにちは、坂本澄子です。このところ全国的にお天気が悪く、また少し寒くなりました。風邪をひかれませんよう、お身体には十分気をつけて下さいね。

さて、今日から「バリ絵画に影響を与えた外国人たち」と題して新シリーズをお届けします。バリ伝統絵画はワヤン(影絵芝居)の芸能として16世紀頃に始まり、インド叙事詩やヒンドゥの神話など、芝居の物語をテーマに描かれました。やがてバリ古典絵画として少しずつ進化していきますが、いずれも画面いっぱいに細かく描き込まれた平面的な構図、墨や暗い色使いでの彩色が基本的な特徴としてあげられます。植民地時代を境にオランダ人を始めとする外国人がインドネシアを訪れるようになり、バリ絵画にも大きな影響を与えました。西洋の技法である遠近法や明るい色彩感覚がバリの古典技法に融合し、現在のバリ絵画の源流を形作っています。

アリー・スミット (ネカ美術館創設者の故ステジャ・ネカ氏と)

アリー・スミット
(ネカ美術館創設者の故ステジャ・ネカ氏と)

今回ご紹介するオランダ人画家アリー・スミットは、特に色彩という点でバリの画家に強い影響を与えました。1916年アムステルダムに生まれ、第一次世界大戦中に兵役に服し、オランダ領東インド(現在のインドネシア)に地理班のリトグラフ制作技師として滞在。侵攻して来た日本軍に捕らえられ、3年間捕虜としてシンガポールやタイ、ビルマで道路や橋の建設工事に従事するなどつらい時期を過ごしました。戦後は独立を宣言したインドネシアに戻り、ジャワ西部にあるバンドゥン工科大学でグラフィックとリトグラフィーの教鞭をとる傍ら、自らの芸術を追い求めます。バリ島に移住したのは10年後の1956年のことですが、そのわずか2ヶ月後にはこの島に永住することを決めています。バリ島内で何十もの場所に移り住んだ結果、安住の地として選んだのが、ウブドのプネスタナン村でした。ウブドには多くの画家たちが農作業をしながら制作に取り組み、ウブド王宮も外国人画家を積極的に保護していました。ここで地元の画家たちに西洋技法を教えながら、画材を与えて自由に描かせたのです。その結果、1960年代にこの地域を中心にバリの伝統もチーフを明るい色彩で描く「ヤング・アーティスト」と呼ばれる画家たちのグループが興り、一世を風靡することとなりました。

アリー・スミット「満月の儀式」ネカ美術館所蔵

アリー・スミット「満月の儀式」
ネカ美術館所蔵

スミット自身も独特な色使いでバリの風景を描いた作品を数多く残しており、バリ島ウブドのネカ美術館には彼の作品だけを展示したパビリオンがあります。実は私自身も彼の作品を初めて目にした時、その色使いにすっかり魅了されてしまいました。ウブドは街灯も信号もない村ですから、夜に外を歩く時は月明かりだけが頼りです。満月の夜に見た景色は確かに「満月の儀式」(写真)のようでした。あるいは、昼間の陽光のもとで見る風景は確かにこうだったと鮮やかに脳裏に甦ってくるのです。

「蘭」

アリー・スミット「蘭」
ネカ美術館所蔵

創造的で多作なスミットは見慣れた光景を新たな視点で見直そうと色々な試みをしました。例えば、彼の作品は印象派の鮮やかな光と色を彷彿させますが、印象派の画家が屋外で描き上げるのに対して、彼はその風景の現場で作品を描くことはせず、スケッチだけその場で行うと、後はアトリエに戻って作品を仕上げました。また、彼は色彩と構成の達人で、本質的な姿まで簡略化されたモチーフを繰り返し使用することにより独特のリズムを創り出すことに成功しています。私の好きな「蘭」(写真)を見ても、それはいかんなく発揮されています。やがて、生命の美と深淵なリズムを表わす独特の「崩れた色彩」の技法へと普遍化され、バリの人々や風景を描いた彼の作品に強い生命力を与えました。

こんなアリー・スミットに影響されたバリの画家たちはどんな作品を描いたのでしょうか。

ソキ「バリの村落」アルマ美術館所蔵

ソキ「バリの村落」
アルマ美術館所蔵

「ヤング・アーティスト・スタイル」で第一人者と言われる、イ・ニョマン・チャクラ 、イ・クトゥット・タゲン、イ・クトゥット・ソキらの作品を見ると、斬新な色使いを除けば、題材、スタイルのいずれにおいてもスミット自身の作品とは大きく異なっています。彼らに共通する特徴として、ヒンドゥ教の祭礼や農耕生活をモチーフにしている点、極彩色を用いながらも全体として統一感のある色使い、そして平面的な構図の中に多彩な物語性を持っている点などがあげられます。つまり、彼らはバリ伝統絵画の特徴を残しつつ、スミットの色彩感覚を取り入れたと言えます。彼らの作品はいずれもバリの主要美術館で見ることができますが、ここではこの「バリアートショールーム」でも作品を扱っている、ソキ氏の作品を紹介します。

ヒンドゥ教の宗教儀式はとても数が多く、バリ歴と呼ばれるカレンダーで司られています。ヤング・アーティストの作品には、これらの祭礼に欠かせない飾り傘、長くひるがえる旗、色とりどりのお供えなどが明るい色彩で描かれています。また、顔の表情を描かないことがありますが、これも簡略化を指向したこのスタイルの特徴。黒っぽい背景によって、色彩がより鮮やかに濃厚に表現されています。

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