故宮博物院に行ってきました
こんにちは、坂本澄子です。
かれこれ30年前。明け方まで仕事、朝の便を寝過ごして、せっかくの台湾行きを逃した悔し〜い経験を持つ私。(ちなみに会社のコンベンションで上司から大目玉をくらいました)以来訪れる機会がなったのですが、この度ついに、「寒い日本を脱出して、おいしいものを食べて、悠久の歴史に触れよう」と意気揚々と羽田から飛び立ちました。
ところが、、着いた翌日から台湾は40年ぶりの大寒波。台北市内でもみぞれがちらつくほどの寒さに、「台湾って沖縄よりもさらに南じゃなかったっけ〜」 後から知ったのですが、沖縄でも雪が舞う寒さ、本来亜熱帯の一帯がすっぽりと寒気団に覆われたのですね。
今回の旅の目的は国立故宮博物院。79万点もの所蔵品を持つ、世界四大ミュージアムのひとつとあって、朝から大混雑です。7割が中国本土からの観光客で、銀座で見るたくましい彼らの姿はここでも健在でした。3階建ての広い建物ですが、12000点分のキャパの展示スペースは、書物を除いた約10万点をローテーションしているのだそう。全部見るには何年もかかります。
故宮博物院で真っ先に思う浮かぶのは、やはり「翠玉白菜」ですよね。残念なことに、台湾南端にある別館でここ何ヶ月間か展示しているそうで、そこにはありませんでした。私ががっかりしたのを見かねたガイドの曾さんが「故宮博物院のナンバー1は実はこれなんです」と案内してくれたのが、青銅器の展示室にある「毛公鼎」と「宗周鐘」。いずれも西周晩期といいますから、今から3000年近く前に作られたものです。写真では小さく見えますが、「毛公鼎」は直径が47cmもある大鍋で、煮炊きをするのに使用されたものだそうです。
驚いたのは、そこに刻まれた500字の銘文。篆書体(てんしょたい)と呼ばれる漢字の前身を用いて、その時代の有力者の偉業が記録されています。3000年前と言えば、日本では石器のもりで動物たちを追いかけて狩りをした時代ですよ〜。同じ頃、既に階級社会が発達し、文字を持ち、政治が行われていたことを知る、重要な史料です。
ちなみに「翠玉白菜」は貸し出しても、この2点のお宝は門外不出だそう。
同じフロアで、清の乾隆帝のコレクションの展示をやっていました。貴重な材質、珍しい細工を施した作品の数々が並ぶ中、写真の象牙球「鏤彫象牙雲龍文套球」は超絶な工芸で、ひときわ目を引きました。
直径12cmの球体の内側にまた別の球があり、そのまた内側にも…というふうに、全部で24層の球体が重なり、どれも自在に回転するのです。もちろん後から重ねたのではなく、外側の球体から順番に彫り出して形作ったもの。いずれの層もレースのように美しい彫刻がほどこされ、一番外側には龍の姿がありました。貴婦人のように優美な全体像はこちらでどうぞ。
こうして台湾を訪れて思ったのは、中国本土を含めてすごい国だということ。そして、歴史の中で日本との接点が多いことを改めて感じました。漢字もそうですし、展示品の中には、これは日本にもあると思うものがいくつかありました。一方、日本の美術品の多くは、前々回のブログでご紹介した浮世絵のように、海を渡り日本を離れてしまっているのが残念です。経済や技術だけでなく、芸術面においても日本はもっと誇りを持っていいのではないでしょうかね。
お隣の国々との関係が転換期を迎える中、色々なことを考えさせられました。30年前ではなく、このタイミングで行けたことは意味があった、そう思える旅になりました。
コレクターの視点で見た浮世絵のおもしろさ
こんにちは、坂本澄子です。寒いですねー。先週までの暖かさにすっかり油断していました。お風邪などひかれませんよう気をつけてくださいね!
さて、先日上野の森美術館に『肉筆浮世絵 美の競艶』展を見に行ってきました。
日本美術蒐集家であり、シカゴ美術館の理事でもあるロジャー・ウェストン氏所蔵のコレクションから厳選された129点が紹介されています。それでも会場に収まりきらなかったようで、前期・後期に分けて展示されていました。(前期も行けばよかったと後悔しきり。。)
美人画に焦点をあてた作品構成は、当時の人々の生活がどのようなものだったかを窺い知ることができる興味深い内容。例えば、下記の2点(『時世粧百姿図』より。初代歌川豊国の作)はいずれも遊女たちの寛いだひとときを描いたものですが、官許の吉原(左)と品川(右)とでは随分雰囲気が違うんだなあと。
品川の遊女たちの逞しいこと。お客が残したワタリガニを手づかみで食べる三人組の豪快な食べっぷり。そして、はだけた浴衣姿で、あるものは三味線を弾き、あるものは窓際からぼーっと遠く海を眺めるといった具合に、苦界に暮らしつつもつかの間の休息を楽しむ様子が感じられます。
当時のファッションもおもしろいです。着物の柄や色からその頃の流行が窺え、鮮やかな色と渋い色を組み合わせた粋な配色には描き手のセンスさえ感じました。また、人物の生き生きとした表情も面白く、一点ずつ丁寧に鑑賞していたら、あっという間に閉館時間。名残惜しく、会場を後にしました。
ウェストン氏は自分のギャラリーの静かな空間で、蒐集したこれらの作品を飽かず眺めながら、同じ絵師による複数の作品、同じ画流の異なる絵師、異なる画流の作品などを隣同士に並べては、顔、髪型、着物、落款などの違いを研究し、そこに描かれたものから背景にある、日本の文化・慣習などへと理解を深めていったそうです。バリ絵画もそうですが、風俗画には描かれた背景にある、その土地や時代の文化へと広がっていく楽しみがありますね。
今回展示されていたのは、量産可能な版画ではなく、大名や豪商などから注文を受けた絵師が高価な画材を使って腕を振るった一点物の肉筆画ばかり。見応えたっぷりのコレクションでしたが、ウェストン氏はいったいいくら投資したのでしょうね(笑
それぞれの国や地方に素晴らしい作品がありますが、私が特にバリ絵画を専門にご紹介しているのは、著名作家の作品でも手の届く価格であることに魅力を感じているからなのです。物価水準の違いから来るメリット。これは気軽に美術蒐集が楽しめるチャンスかも知れませんよ。
「どんな作品があるの?」と興味を持たれた方は、ぜひ「バリ島の美術館に選ばれた作家たち」をご覧になってみてください。
<関連ページ>
バリ島の美術館に選ばれた作家たち 美術館が作品所蔵する著名作家の新作が購入できます
バリ島の風俗画 バリ島の伝統的な暮らしを人気作家SOKIが描きます
細密画にもおもしろいものがいっぱい
触れる通りに、聞こえる通りに、匂う通りに…
こんにちは、坂本澄子です。
今日のタイトルは、写実絵画の巨匠、野田弘志さんが著書の中で、「写実絵画とは何か」を語られた言葉からお借りしました。
まるで写真を見ているような精緻な写実絵画に惹かれ、そのコレクションで有名な千葉県のホキ美術館をよく訪れています。360点のコレクションのほとんどを観たでしょうか。
先日の日曜日、企画展『写実って何だろう?』の最終日に行ってきました。ちょうどギャラリートークが始まったところで、いつもより多くの来場者に混じって解説員のお話を伺うと、写実絵画に対する見方が少し変わったことがありました。
島村信之さん。静謐な光と清らかな女性像を描く画家として定評があり、ホキ美術館にも多くの作品が所蔵されています。その清らかなタッチは本当に素敵で、女性の私が見てもうっとりするほど。
ところが、その島村さんが戦闘的な姿のロブスターを描かれたのです。今でこそ、氏の代表作のひとつとなっていますが、当時、それを見た人は「島村さんはこんな絵も描くのか」と驚き、画廊では売れ残りの絵になってしまったのだそう。その迫力に圧倒されつつも、はたと飾る場所を考えるとなかなか手が出せなかったのでしょうね。1年半画廊の壁を飾った後、ホキ美術館に最適の住処を見つけ、瞬く間に人気作品のひとつとなったという訳です。
この作品を描くにあたり、島村さんはなんとロブスターの剥製作りから始められたそうです。生きているロブスターを買ってきて、茹でてて(だから赤いのです)、その身を存分に味わった後、殻をバラバラにしてまるでロボット模型のように。その硬い殻の感触を指先に感じながら、子供の頃に観た戦闘アニメを思い出しながら、組み立てたのです。
それまで、写実絵画といえば、その技術的な巧みさにばかり目がいっていましたが、このエピソードをお聴きして、画家が五感を通じて得た情報を作品としてアウトプットする作業は、決して写真のように単眼的に写し取ったものではなく、画家の思考、感情、感覚などが立体的に作用して、紡ぎ出されるものであることを知りました。そう思って、島村さんの描かれた婦人像を改めて観てみると、光と戯れるような眼差しや肌の美しさが真に迫ってくるわけがわかるような気がしました。
都内からは少し距離がありますが、美術館のモダンな建物にも様々な見所があり、それだけでブログ一本かけちゃうくらいです。そして、併設レストランのイタリアンが美味しいのも嬉しい。駐車場は無料で利用できますので、ドライブがてら如何でしょう。おすすめです。
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作風は異なりますが、ウィラナタの『満月の夜に』を観たときにも、同じ印象を受けました。つまり、画家の五感が感じたことをこの絵から受け取ったのです。
水に映るまばゆいばかりの満月。
湿った空気。
足先に感じるやわらかい草の感触。
田んぼから流れ落ちる水の音。
澄んだ音色を奏でる虫の聲。
篝火の光で浮かび上がる、
田んぼの生き物たち。
それらが、まるでその場にいるかのように感じられるのです。
そんな感覚をぜひ味わっていただきたくて、11月29日、「第6回バリアートサロン」でこの作品を展示します。アクセス人気上位作品もご覧いただけますので、ぜひお越しください。詳しくはこちらをどうぞ! 2015歳末感謝セールも好評実施中!ほとんどの作品が10-20%offです。
安野光雅展を見てソキを想う
こんにちは、坂本澄子です。
急に涼しくなりましたね。窓を開けて寝ていたら、夜中に寒くて目が覚めました。暑くて目が覚めていた少し前とは大違いです。季節の変わり目、どうぞくれぐれもご自愛ください。
さて、先日、新宿にある損保ジャパン美術館に「旅の風景 安野光雅 ヨーローパ周遊旅行」展を見に行ってきました。最終日の前日とも相まって、絵本の原画約120点の前はかなりの賑わい。
安野さんが気の向くままに旅をして描いた水彩画の数々が、イタリア、スペイン、イギリス、スイス、ドイツ…と国ごとに展示されています。それぞれに違った味わいがあり、また、作品に添えられた安野さんご自身が書かれた文章を読むと、その鋭い観察眼と共に、幅広い知識に裏付けされていることを感じます。風景の中に描かれた人々の姿や暮らしぶりの正確さは、その国の人も驚くほどです。
緻密でかつ俯瞰的な描写が持ち味の安野さんの作品ですが、バリ島で初めてソキさんのギャラリーを訪れたときに持った印象もこれとよく似たものでした。安野さんの風景画は旅人の視点で描かれていますが、ソキさんはそこに暮らす住民でありながら、同様に俯瞰的な神の視点をもって描かれています。多くの人物を描きながら、誰一人特別な存在はありません。神の前にはみな小さな存在であり、恵みによって生かされていることを意識した描き方なのです。
代表作『バリ島』は全島を斜め上空から見下ろした面白い構図。2、3000m級の山々が連なる北部、なだらかな平野が広がる南部という地形が直感的に感じられます。最も尊いもの(この作品では聖峰アグン山)が絵の一番上に来るというバリ絵画の伝統的な約束事に従い、祭礼の島の生活のさまざまな場面がびっしりと描かれています。
島の南半分を覆いつくす赤はバリの大地をイメージしたもので、所々に点在する青は北部の山から湧き出た清水がバリ全土を潤していることを伝えています。この大地と水が作物を育み、やがて大きな実りとなってバリの人々の暮らしをささえているわけです。また、海に目を向けると、漁師が魚を獲っています。人々は自然から恵みを受け、神に感謝の気持ちを表すための祭礼を行います。この伝統的なバリ島の生活がソキさんの絵の主題です。
この壮大な作品(80cmx100cm)から、それぞれの場面を切り出して描いた小品は、ソキ作品の魅力が身近に感じられるいわば入門編。それぞれの作品画像をクリックすると、詳細ページをご覧いただけますので、モチーフ解説とあわせて細部の描写をお楽しみください。
『村の稲刈り』 |
『バロンの祭列』 |
||
『ウブドの市場』 |
<関連ページ>
ソキ紹介ムービー ソキの魅力を3分間で (youtube)
ソキの作品ページ ソキの作品をもっとご覧になりたい方はこちらへ
パウル・クレーの絵の面白さ
こんにちは、坂本澄子です。
先日、宇都宮美術館に『パウル・クレー だれにもないしょ』展を見に行ってきました。宇都宮美術館と言えば、マグリット(美術の教科書でもおなじみの「大家族」も所蔵)、シャガール、カンディンスキー、クレーなど、20世紀を代表する巨匠たちの作品を中心に約6500点もの充実したコレクションを持ち、前から気になっていた美術館でした。
実は私自身、クレーにはちょっとした思い入れがあります。抽象と具象の間にあるミステリアスな雰囲気に憧れて、何点も模写した時期があります。暗号のように作品にしのばせられた記号、不思議な形をした物体など、「これは何なのかしらん」と考えているうちに、いつの間にかクレーの世界にはまりこんでいました。
今回の展示は様々な工夫を凝らしながら、そのミステリアスな魅力を解明してくれています。
クレーはキャンバスの裏側に別の絵を描いていたり、もとは大きな一枚の絵だったものを切断して複数の作品に仕上げたりと、おもしろい制作をしています。会場では、壁の両側から2つの作品を鑑賞できたり、もとの大きな作品の全体が見れたりと、謎解きのヒントが与えられます。
例えば、こんな展示がありました。町と人物を描いた一見穏やかな風景なのですが(左写真:『窓辺の少女』、切り取られた作品を並べてみると、その視線の先には女性の死体が横たわり、あたり一面に第一次世界大戦直後の荒涼たる風景が広がっています。
ところで、前回のブログでバリ絵画の価格についてご紹介しましたが、この点においても、クレーはとてもユニーク。ギャラリーとの契約を解除して以降、クレーは作品価値を自らコントロールし、作品一点一点に「価格ランク」をつけました。通常、絵の値段は作家ごとに号あたりの金額がだいたい決まっており、号単価50,000円の作家の場合、10号(長辺53cm)の作品だと500,000円が目安となります。が、クレーの場合は作品に対する自己評価で価格設定され、最高ランクである「特別クラス」は売らずに手元で大切に保管されていました。
こんなふうに制作の背景がわかると、新たな視点を持って作品に向き合うことができます。都内からですと少し距離がありますが、里山に囲まれた美しい公園が美術館までのアプローチを楽しませてくれます。そして、レストランもなかなか。窓の外を見ながらのランチは、まるで森の中にいるみたいです。この企画展は9月6日まで。ドライブがてらいかがですか。
バリ絵画も描かれた題材や背景がわかると、何倍も楽しめます。という趣旨で毎月開催している「バリアートサロン」、次回は8月23日(日) です。バリ島の暮らしを描いた風俗画をご紹介しますので、詳しいご案内はこちらをどうぞ。
<関連ページ>
第3回バリアートサロン「見れば見るほどおもしろいバリ島の風俗画」開催ご案内
宇都宮美術館 『パウル・クレー だれにもないしょ』展 公式サイト
肖像画の本質について考えてみました
こんにちは、坂本澄子です。
先日の震度5の地震、久し振りに揺れました。うちは家中に絵を掛けているため、ぐらっときた瞬間慌てて飛び起きました。幸い絵はそれぞれの場所にじっとしておりほっとしましたが、それも束の間、今度はマンションのエレベータが停止。このあたりのタワーマンションは軒並みエレベータが止まったらしく、保守作業員の方が順番に回って安全確認が完了するまで随分時間がかかりました。それでも、大事に至らずほんとによかったです。
さて、前回(5月3日)のブログでアンタラさんの新しいアトリエと肖像画についてご紹介しましたが、実は私自身も未消化になっていることがひとつありました。写真を見て描いたものは、外見が似ているかどうかに終始してしまい、結局は写真を超えることはできないのではないかという疑問です。
それが偶然出会ったあるデッサン画がするりと解決してくれました。
東京オペラシティのアートギャラリーにて開催中の舟越保武さんの「長崎26殉教者 未発表デッサン」展でのことです。写真のパンフレットの通り、精緻に描き込まれたものではありませんが、その表情は一度見たら脳裏に貼り付いて忘れられなくなるほど、その人の心情を描き出していました。
1597年に長崎で磔処刑されたキリシタン26人(6人が外国人宣教師、20人が日本人)の記念像の建立にあたり、イエズス会からその制作を依頼された舟越さんが描き起こしたデッサン画です。それぞれの顔はもちろんのこと、合わせた手や足、衣のひだに至るまで思いを巡らせた後を見てとることができます。
この作品展のパンフレットから引用しながらご説明しますと、400年以上も昔の話ですから、写真はおろか容姿を伝える絵画資料は一切残っていません。殉教者たちが生前書き記した手紙や処刑の際の様子を紹介した、ルイス・フロイスの『日本二十六聖人殉教記」などの情報を元に、作家はそれぞれの人物の性格や内面を捉え、100点近いデッサンを通じて、まさにゼロからその造形を行ったわけです。例えば、十字架の上から民衆にキリストの教えを説いたというパウロ三木は強い信念を もつ逼しい青年として描かれ、司祭が捕縛されたときに自分も捕らえるように願い出て、刑場で「自分の十字架はどこ」と尋ね たという最年少12歳のルドビコ茨木の面立ちにはあどけなさが漂い、また、喜びの涙を流し、讃美歌を歌いながら絶命したと いうフィリッボ・デ・ヘススの顔貌には安らぎと希望が感じられるというふうです。
ご存知かも知れませんが、舟越保武さんのご子息舟越桂さんも我が国を代表する彫刻家ですから、きっとどこかでご覧になったことがあるかも知れません。その宙を見つめるような穏やかな瞳には様々な内面が凝縮されており、不思議な感じさえします。
話を殉教者に戻しますと、この26名は冬の寒さの中を京都から長崎まで引き回されてきました。やせ衰え、身なりもひどいものだったと想像されますが、 作家は髪を整え、衣服も真新しい晴れ着に替えています。「私はせい惨なものは好まない。激しい動きも喧燥もきらいである」という作家の想いとその後の作品に一貫する特徴一均整のとれた統一感、不純なものを排した簡潔性が認められます。
つまり、実際とは違うかも知れないけれども、作家の目を通じて見た彼らの姿を描き出したわけです。
私は肖像画もこうでなければならないと思いました。肖像画には必ず依頼主がいます。本人の場合もあれば、ご家族、友人の場合もあります。いずれにしても近しい存在で、その人に対するイメージや特別な想いがあるはずです。
ならば、写真を外見上の手がかりとするにせよ、そのときの状況やご本人の気持ち、それを見ている依頼主の想いなどを描き手との間で共有することにより、依頼主の目を通じて捉えたその人の内面に迫ることができ、絵ならではの魅力を生み出すことができると考えました。
そこで今度は、アンタラさんにある女性を描いてもらうことにしました。モデルは以前Facebookアルバム「バリの笑顔」でたくさんのいいね!をもらったウタリ(17歳)です。この写真からわずか1年ですが、彼女は自分の考えを持った大人の女性に成長していました。アンタラさんにとっては初対面ですが、彼女の今を伝えてデッサン画をお願いしています。
この続きはサイトリニューアル後の「ピックアップ・アーティスト」のコーナーでご紹介します。5月下旬公開予定、ぜひご覧下さいね。
アンタラさんへの肖像画のご相談はこちらへどうぞ。
桃源郷、そして光の創り出す空間へ
こんにちは、坂本澄子です。
「桃源郷」という言葉の響きにずっと憧れていました。
中国の古い詩集『桃花源記 ならびに詩』に出てくる、桃の花が一面に咲き乱れるその場所は、実は私たちの心の中にある場所であり、実在の場所として探すとかえって見つからなくなるものだと言います。
そういえば、昨年7月のバリ絵画展『緑に抱(いだ)かれる午後 〜 永遠の夏休み』も、そんな心の風景をバリの画家たちの手によって具象化したものでした。子供の頃に見た風景は記憶の中で次第にその形を変え、もはや現実の姿とは異なっていても、それこそがあの時心が感じた風景であり、時々そっと顔を出しては私たちを慰め励ましてくれるのです。バリの絵の魅力は描かれた景色や思想に私たち日本人にも共通するものがあり、それが心の引き出しから様々な記憶を呼び起こし、絵を見る目に奥行きと深みを与えてくれるように思います。そんなメッセージに共感して下さった方もあったのではないでしょうか。
そんなことを考えつつ、この季節、盆地全体が桃色に染まるという山梨の桃源郷に行ってきました。
中央道の釈迦堂PA。隣接する桃園の高台に上がると、盆地の遥か向こうまでピンク色の大地が断続的に続き、まるで夢見るような光景です。よく見ると花の形もさまざまで、マツバボタン風あり、枝垂れ風あり、挙げ句には同じ木なのにピンク、白、紅白混合の3種類の花を咲かせている賑やかな木ありと、一口に桃と言っても随分種類があるのには驚きました。ちなみに、3種類の花を咲かせているのは接ぎ木によるものだそうで、桃園のご主人が「木を騙すのです」と説明されるのがおかしくて、おもわず吹き出しそうに^o^
その後、清里にある「清春芸術村」を訪ねました。ここでは桜が最後の見頃を迎えていました。ここは敷地内に「清春美術館」と「光の美術館」の2つの美術館を擁し、シャガールやモディリアニなど、後の巨匠たちにアトリエ兼生活の場を提供したパリのラ・リューシュ(蜂の巣)を再現したという日本版ラ・リューシュがあります。さらに、礼拝堂、梅原龍三郎の旧アトリエなどが、広場を中心に程よい距離で点在し、それぞれにこだわりの空間を為していました。何よりも見事だったのはやはり桜。いつからそこに植わっているのだろうかと思われるほどの大木です。風がそよぐたびに花びらが雪のように舞うのはまるで映画の1シーンのようでした。
(左) ベンチが小さく見えるほど大きな桜、(右) 積み木のように見える「光の美術館」
「光の美術館」は安藤忠雄さんの設計で、小さな積み木のようなコンクリートの建物。天井を斜めに切り取るように窓が設けられ、その名の通り、自然光のみで作品を鑑賞する美術館です。光の入り方によって同じ絵でも違う表情を愉しめ、窓の向こうを雲が通り過ぎて行くのを見上げながら、いつまでもそこに留まっていたくなるような場所です。
私が訪れたときはフランスの画家ベルナール・カトランの回顧展をやっていました。写真は芸術村の公式サイトから使わせてもらったもので、カトランの作品展示でないのが残念ですが、コンクリート打ちっぱなしのモノトーンの壁を原色の花々が色鮮やかに彩っているのが何ともオシャレです。
色の使い方という点では、やはり西洋の画家の方が一日の長があるように思います。
カトランの作品もぱっと見た感じは3色くらいしか使っていないように見えるのですが、よく見ると同系色の様々な色の集合体からなり、絵に深みがあります。そこに油彩の凹凸が加わると、光の当たり具合で作品の印象が随分変わるというわけです。カトラン作品はリトグラフやタピスリーにもなっていますが、こうして見るとやはり原画にまさるものはないなあと思います。
この小さな美術館、作品と建築と自然のコラボレーションを具現化した空間として、とても密度の濃い時間が過ごせますよ。
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ほっとする風景がここにも 〜 横須賀美術館 谷内六郎館
こんにちは、坂本澄子です。
この春最後の桜を求めて三浦半島へ行って来ました。途中、「海辺のミュージアム」として以前から関心を持っていた横須賀美術館に立ち寄ったのですが、そこに併設されている谷内六郎館で懐かしい作品に出会いました。
谷内六郎。ある年齢以上の方はご記憶の片隅にあるのではないでしょうか。週刊新潮の表紙を25年にわたり飾っていた、絵本のような優しい光景を描く画家です。
1956年の『週刊新潮』の創刊と同時に掲載が始まり、1981年に心不全で亡くなるまで休むことなく描き続けられた表紙絵はなんと1336点。生前画家が「毎日だって僕の絵を見てもらいたいんだ」と熱っぽく語っていた通りの画家人生です。
私が訪れた時は、「いつも鉄道をみてた」をテーマに汽車(電車よりも汽車という呼び名が似合います)のある風景51点が展示されていました。女の子と身体が一回り小さい男の子(多分姉弟なんでしょうね)、ネコなどが登場し、そのやさしい関係性までが情緒溢れる筆致で表現されています。そして、それぞれに400字ほどの「表紙の言葉」が添えられているのですが、これがまた絵に深みを持たせ、記憶の奥底にあった淡い思い出がひとつまたひとつと引き出されていくようで、実に濃厚な時間が過ごせます。
この展示が面白いのは、「週刊新潮」の実際の表紙が4点ほど展示されており、原画との対比を楽しめること。画家は制作にあたり水彩と併せて砂や鑞などの素材も取り入れているのですが、当時の写真・印刷は原画とは異なった風合いを出しており、これがまた、退色したインクの味わいと共になんとも言えないレトロな感じを創り出しているんです。まさに時の経過が生み出すアートですね。
谷内六郎館では年間4回、約50点ずつ作品を入れ替えながら展示をしており、次は4月12日から同じく<週刊新潮表紙絵>展で、今度は家族をテーマにした展示『家族の時間』が始まるそうです。
谷内六郎さんが描き続けた家族愛、懐かしい風景、素朴な人々、夢見るような空想世界は「バリアートショールーム」でご紹介しているウブドの画家たちが表現しているものとどこか似ている気がします。失われつつある…、でも、これからもずっと大切にしていたいものです。
ところで、横須賀美術館は海に向かって建つモダンな白い建物。思わず入ってしまいたくなるような佇まいです。地元作家の作品を中心に昭和の匂いを感じる作品を所蔵・展示しています。屋上展望室に上がると向かいに房総半島が見えました。東京湾に荷物を運ぶ大型船舶がゆっくりと行き交い、穏やかな春を感じる一日でした。
ここでオマケのクイズです。
谷内六郎館は白い箱を2つ並べて真ん中をガラスの通路でつなげたような構造をしています。左の写真はその通路から海を撮ったもの。ぱっと見て答えてください。この船は東京湾に入ってくるところでしょうか。それとも出ていくところでしょうか? 答えは土曜日のブログで^o^
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夏目漱石の美術世界
こんにちは、坂本澄子です。先日、東京・上野にある東京藝術大学大学美術館に「夏目漱石の美術世界」展を見に行ってきました。実は、私は大の漱石ファン。学生時代、その作品のほとんどを読みました。この絵画展は、漱石の作中に登場する絵画を取り上げ、文章とのコラボレーションという新しい視点で展示・解説したもので、通常の絵画展とはひと味違った面白さがありました。漱石が国内のみならずイギリス留学中に目にしたさまざまな絵画を通じて、美術の世界に造詣が深かったこと、そして自身も絵を描いていたことを知ってビックリ。なるほど、漱石の作品はいずれも絵画的な描写が特徴で、情景が眼に浮かぶように感じるのはそこから来ていたのかと納得した次第です。
例えば、私が好きな「三四郎」。熊本の高校を卒業した主人公三四郎が東京帝大に入学したての頃、大学構内にある池のほとりでヒロイン美穪子に初めて出会う場面は、こんな風に表現されています。
「ふと眼を上げると、左手の岡の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、池の向こう側が高い崖の木立で、その後が派手な赤煉瓦のゴシック風の建築である。そうして落ちかかった日が、凡ての向こうから横に光を通してくる。女はこの夕日に向いて立っていた」この場面は、画家藤島武二の「池畔納涼」をイメージして書かれたものと言われています。
また、みなさんもよくご存知の「坊ちゃん」で、三津浜から眺める島をターナー島と名づけるシーンがありますが、ここでは画家ターナーの風景画が引用されています。
『あの松島を見給へ、幹が真直で、上が傘の様に開いてターナーの画にありそうだね』と赤シャツ(教頭)が云ふと、野だ(画学の教師、教頭の腰巾着)は『全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ』と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙って居た。すると野だがどうです教頭、是からあの島をターナー島と名づけ様ぢゃありませんかと余計な発議をした。
こうしてみると、漱石の作品には直接的あるいは間接的に絵画がうまく取り入れられ、文章に深みを与えていますね。
さらに、漱石は本の装丁にも強いこだわりと美意識を持っていました。写真は「吾輩は猫である」の初版本。その後も漱石の本の装丁を多く手掛けた橋口五葉の装丁デビュー作です。アールヌーボー調のデザインがなんとも洒落てますよね。
「夏目漱石の美術世界」展は7月7日までやっています。その後、静岡県立美術館でも開催されるそうなので、特に漱石ファンの方、また違った発見があると思いますので、是非どうぞ。
さて、7月のバリ絵画展「緑に抱かれる午後 〜Deep into the Forest〜」で、私も絵画と文章の融合を意識して特集記事を書いてみました:-)イメージは子供の頃の夏休みです。このテーマの中で目指しているのは、作品と文章(作品解説)をカタライザー(触媒)として、ご自身の心の風景を引き出して(=思い出して)いただくこと。それによって心穏やかなひとときを過ごしていただき、「よし、また頑張るぞ」と元気になっていただければ嬉しいなと思っています。7月10日(水)〜15日(祝)@パレットギャラリー麻布十番、お待ちしています。
また、アールヌーボーと言えば、先月バリに行き、睡蓮をモチーフにしたステキな作品を見つけてきました。様式化して描かれた睡蓮が鮮烈な背景色と相まって美しい個性を発揮しています。モダンなインテリアにも合いそうです。こちらも絵画展に展示しますので、ぜひ見て下さいね。
【関連リンク】
バリ絵画展「緑に抱かれる午後 〜 Deep into the Forest 〜」
アールヌーボーを彷佛させる熱帯花鳥画 ここから購入もできます