絵が呼び起こすイマジネーション
こんにちは、坂本澄子です。
先日Facebookに「どこでもドアがあったらいいな」という投稿をしたところ、「どこでも窓」なるものがあるとのコメントをいただきました。みなさん、ご存知でしたか?ご興味ある方はこちらに動画がありますのでどうぞ。
実物を見たことはありませんが、ムービーを見た感じでは、その場にいる雰囲気がかなり味わえそうです。プロジェクターを使用するので、窓の向こうの風景が自由に変えられるのもいいですね。そのうち、その時々の気分で映像が変わり…といった、高校時代に読みあさった星新一さんのショートショートに出て来るような未来の生活を思い浮かべました。ITの進歩によってこんな生活ができる日もそう遠くはないかも知れません。
その一方で、アナログなものの持つ力もあなどれませんよ〜。
今、村上春樹さんの『女のいない男たち』(文藝春秋)を読んでいます。売上トップに入り書店に平積みされていますので、お読みになっているかも知れませんね。そこに収録されている『イエスタディ』という短編の中にこんな箇所があります。
「音楽にはそのように記憶をありありと、時には胸が痛くなってしまうほど克明に喚起する効用がある」
この物語に登場する主人公(男)の大学時代の友人木樽は、生粋の東京生まれ・東京育ちにも関わらず完璧な関西弁を話すちょっと(かなり)変わり者で、ビートルズのかの有名な表題曲を関西弁でヘンな替え歌にして歌っていました。16年たった今、その歌詞はほとんど覚えていないけれども、この曲を耳にするたびに、半年という凝縮されたつきあいの中での彼との会話や情景が自然に蘇ってくるというのです。
ここを読んで、身につまされました。村上春樹さんの作品にはこんなふうに、「そうそう、よくぞ言ってくれました」と共感することが多く、大好きな作家のひとりなのですが、同じように絵にも、普段は心の奥底に眠っている記憶を呼び覚ます効用を果たすときがあります。一旦、水面に引き上げられた記憶はそのときの情景や心のありさまを呼び起こし、立体的なイメージを脳内に浮び上がらせます。
「どこでも窓」が2Dならこちらは(3+α)Dでしょうか、つくづく人の持つ想像力は無限であると思います。
私にとってのそんな絵のひとつが、LABAさんの『少年たちの情景』です。特に今日みたいに「これから夏がやってくる!」と感じるお天気の日にこの絵の醸し出す昭和っぽい雰囲気や緑色の深さに触れると、遠い昔のある夏休みのできごとを思い出します。その記憶の持つ優しさや切なさを感じることによって自分への信頼を取り戻し、今こうして守り生かされていることを感謝するのです。
絵の持つ力ってすごいですよね。ぜひあなたにもそんな作品に出会っていただきたいと思います。
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バリアートのある暮し⑩ バリ舞踊を通じて繋がった縁
こんにちは、坂本澄子です。
3月の1周年記念展示会、大雨の中来てくださったNさんから写真が届きました。
東京郊外にご主人とお住まいのNさんはバリ舞踊を始めて10年。現地の先生から直接指導を受けるために毎年バリに渡っては、技術や表現力を磨いておられます。最近は舞台に立つことも多く、私がNさんに初めてお会いしたのも、渋谷のバリカフェ「モンキーフォレスト」でのライブ講演でした。
ブラウンを基調にシックにまとめられたリビングからも、バリに特別な思いを寄せておられることが伝わってきます。バティックがタペストリー風に飾られた壁面にANTARAさんの木炭デッサン画がしっくりと馴染んでいますね。
最初は花鳥画にも惹かれておられましたが、画家のANTARAさんがバリ舞踊を題材に子供たちを描いているのを見て、ご自身のバリに対する思いに繋がる何かを感じられたようです。
そこでバリ舞踊について色々と教えていただきました^_^
「バリ舞踊は毎日どこかしらの寺院で行われているオダランに神様をお招きして喜ばせるものなんですよ」とNさん。
オダランというのは各家にあるファミリーテンプルもあわせるとバリ島の人口に匹敵すると言われるほどの数にのぼるお寺の創立記念祭、バリ暦にそって210日に一度行われています。奉納舞踊は観光客向けのプログラムとは異なり、お寺の境内で舞う神聖なもの。
「今でこそ誰でも踊れるようになりましたが、昔は選ばれた人しか踊れないものでした。たくさんの子どもが集められ、そのなかから選ばれた子どもが寺院に預けられて踊りを習ったという、いわば巫女的なものだったそうなんです」
ー なるほど、それでNさんはANTARAさんの作品集をあんなに熱心に見ておられたのですね。
「舞踏用の衣装はほとんどが寺院やサンガル(踊りや楽器のグループ)やバンジャール(村組織)の所有物です。 有名な踊り手さんの場合は自分の衣装を持っていたりしますけど。 なかでもグルンガン(冠)には神様が宿ると言われ、寺院に保管されて門外不出のものごあったり、使う前にお坊さんにきちんとスンバヤン(ご祈祷)してもらったり、絶対に腰よりも低いところに置かないなど大切に取り扱われているんですよ」
ー バリの人々にとって舞踊は特別なものなんですね。
「本当に奥が深くて、やればやるほど自分がまだほんの入口にしか立っていないと痛感します」
ー なんだか、またバリに行きたくなりました。日本でバリ舞踊が見れる機会ってあるんでしょうか。
「8/2(土),3(日)に東京・阿佐ヶ谷の神明宮という神社で、阿佐ヶ谷バリ舞踊祭という大きなイベントがあります。 関東のバリ舞踊家が100名くらい出演する大きなイベントで、ガムランの生演奏もすごい迫力です!」
舞踊だけでなく、絵画、音楽、彫刻、織物、金銀細工など、バリの芸能・芸術は降臨された神様をもてなすことから始まりました。バリ絵画に向き合うとき、愛や平安な心、厳かな静けさといったものを感じるのは今でもその源流が受け継がれているからかも知れませんね。
<関連サイト>
ANTARA作品ページ ページの下の過去作品のコーナーにかわいらしい子供たちがいますよ
阿佐ヶ谷バリ舞踊際 昨年の写真がたくさん掲載されています
肖像画の本質について考えてみました
こんにちは、坂本澄子です。
先日の震度5の地震、久し振りに揺れました。うちは家中に絵を掛けているため、ぐらっときた瞬間慌てて飛び起きました。幸い絵はそれぞれの場所にじっとしておりほっとしましたが、それも束の間、今度はマンションのエレベータが停止。このあたりのタワーマンションは軒並みエレベータが止まったらしく、保守作業員の方が順番に回って安全確認が完了するまで随分時間がかかりました。それでも、大事に至らずほんとによかったです。
さて、前回(5月3日)のブログでアンタラさんの新しいアトリエと肖像画についてご紹介しましたが、実は私自身も未消化になっていることがひとつありました。写真を見て描いたものは、外見が似ているかどうかに終始してしまい、結局は写真を超えることはできないのではないかという疑問です。
それが偶然出会ったあるデッサン画がするりと解決してくれました。
東京オペラシティのアートギャラリーにて開催中の舟越保武さんの「長崎26殉教者 未発表デッサン」展でのことです。写真のパンフレットの通り、精緻に描き込まれたものではありませんが、その表情は一度見たら脳裏に貼り付いて忘れられなくなるほど、その人の心情を描き出していました。
1597年に長崎で磔処刑されたキリシタン26人(6人が外国人宣教師、20人が日本人)の記念像の建立にあたり、イエズス会からその制作を依頼された舟越さんが描き起こしたデッサン画です。それぞれの顔はもちろんのこと、合わせた手や足、衣のひだに至るまで思いを巡らせた後を見てとることができます。
この作品展のパンフレットから引用しながらご説明しますと、400年以上も昔の話ですから、写真はおろか容姿を伝える絵画資料は一切残っていません。殉教者たちが生前書き記した手紙や処刑の際の様子を紹介した、ルイス・フロイスの『日本二十六聖人殉教記」などの情報を元に、作家はそれぞれの人物の性格や内面を捉え、100点近いデッサンを通じて、まさにゼロからその造形を行ったわけです。例えば、十字架の上から民衆にキリストの教えを説いたというパウロ三木は強い信念を もつ逼しい青年として描かれ、司祭が捕縛されたときに自分も捕らえるように願い出て、刑場で「自分の十字架はどこ」と尋ね たという最年少12歳のルドビコ茨木の面立ちにはあどけなさが漂い、また、喜びの涙を流し、讃美歌を歌いながら絶命したと いうフィリッボ・デ・ヘススの顔貌には安らぎと希望が感じられるというふうです。
ご存知かも知れませんが、舟越保武さんのご子息舟越桂さんも我が国を代表する彫刻家ですから、きっとどこかでご覧になったことがあるかも知れません。その宙を見つめるような穏やかな瞳には様々な内面が凝縮されており、不思議な感じさえします。
話を殉教者に戻しますと、この26名は冬の寒さの中を京都から長崎まで引き回されてきました。やせ衰え、身なりもひどいものだったと想像されますが、 作家は髪を整え、衣服も真新しい晴れ着に替えています。「私はせい惨なものは好まない。激しい動きも喧燥もきらいである」という作家の想いとその後の作品に一貫する特徴一均整のとれた統一感、不純なものを排した簡潔性が認められます。
つまり、実際とは違うかも知れないけれども、作家の目を通じて見た彼らの姿を描き出したわけです。
私は肖像画もこうでなければならないと思いました。肖像画には必ず依頼主がいます。本人の場合もあれば、ご家族、友人の場合もあります。いずれにしても近しい存在で、その人に対するイメージや特別な想いがあるはずです。
ならば、写真を外見上の手がかりとするにせよ、そのときの状況やご本人の気持ち、それを見ている依頼主の想いなどを描き手との間で共有することにより、依頼主の目を通じて捉えたその人の内面に迫ることができ、絵ならではの魅力を生み出すことができると考えました。
そこで今度は、アンタラさんにある女性を描いてもらうことにしました。モデルは以前Facebookアルバム「バリの笑顔」でたくさんのいいね!をもらったウタリ(17歳)です。この写真からわずか1年ですが、彼女は自分の考えを持った大人の女性に成長していました。アンタラさんにとっては初対面ですが、彼女の今を伝えてデッサン画をお願いしています。
この続きはサイトリニューアル後の「ピックアップ・アーティスト」のコーナーでご紹介します。5月下旬公開予定、ぜひご覧下さいね。
アンタラさんへの肖像画のご相談はこちらへどうぞ。
アトリエ訪問 〜 田園風景を眺める場所から
こんにちは、坂本澄子です。
その人の内面にまで迫る描写力で定評のある写実画家のWayan Bawa ANTARA(アンタラ)。いつか私を描いてほしいという願いがついに実現しました。昨年完成したウブド郊外の新しいアトリエも気になっており、現地パートナーの木村さんにさっそく取材に行ってもらいました。
そのアトリエは、大きく開かれた2階の窓から田園風景が見渡せる場所にありました。バルコニーに出ると、田んぼはちょうど刈り取りを終えたところで、普段は湿気の多いバリですが、その日は心地よい風が感じられるほど。
アンタラさんにはこれまで何度かお会いしていますが、気に入った写真をお渡し、それを元に描いてもらうことにしました。
広いアトリエのほぼ中央には、原木から切り出した一枚板の大きなテーブルが置かれています。アンタラさん、ここにスケッチブックを立てかけるようにして座ると、チャコールペンシルを持つ手が猛スピードで動き始めました。その集中力たるやすごいものです。見る見るうちに白い画用紙に輪郭が現れ、目を描くとそこにいのちが宿りました。
待っている間、アトリエの中を見せてもらっていると、きれいな装丁の画集が目にとまりました。昨年ジャカルタの老舗ギャラリー”GALERI HADIPRANA”が開催した、国内で最も輝いているアーティストたちの作品展『Bridging two worlds』向けに作られたものです。ぱらぱらとめくってみると、このアトリエの紹介とともにアンタラさんの作品が大きく取り上げられていました。”Golden Harvest”をテーマに描いたという黄金色に輝く抜けるような田園風景は、まさしくこのアトリエのもたらした新たなインスピレーションでしょう。
近年の経済の発展は目覚ましいものがあり、首都ジャカルタなど大都市の富裕層、中間層を中心に、アンタラさんのような人気作家の作品が飛ぶように売れているそうです。
そうこうしているうちに絵が完成しました。
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後日額装してこんなに立派なポートレートに。ちょっぴりくすぐったい気分です。
「いくつになっても精一杯生きていたいし、そんな自分を信頼する画家の手によって残しておきたい」、アンタラさんには私の気持ちをしっかりと受けとめてもらえました。宝物としてずっと大事にします。
一方、木村さんから送ってもらったこれらの写真を見ながら、日本は経済だけでなくアートに於いてもアジアの中心にいると言えるだろうか…と考えさせられました。
絵画だけでなく、音楽や文芸、日本の伝統芸能など芸術全般に対して政府や民間企業が拠出しているお金は、日本とインドネシアの経済規模を考えたとき桁違いに小さいのではないでしょうか。芸術家が日本で食べていくのは難しいし、優秀な人は海外へ活躍の場を求めて出て行ってしまう。鑑賞する側も美術館には行っても、日常の中で身近にアートを愉しむという発想になかなかなれないのではないかと思いました。
日本人は毎日を心豊かに過ごすことをもっと考えてもいいのではないでしょうか。私も微力ながら、アートのある毎日を愉しむ提案を続けていきたいと思っています。
アンタラさんの肖像画制作に関するお問合せはcontact@balikaiga.comまで。
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神々の花園 〜 澤野新一朗写真展に行ってきました
こんにちは、坂本澄子です。
一面の茶褐色の荒涼とした原野がわずか数週間だけ地平線の果てまで咲き広がる色とりどりの花園に変わる。23年前に初めてその光景を目にして以来の感動を、写真家・澤野新一朗さんは次のように表現しておられます。
「成長を急ぐため、背丈は低く、貧弱に見えますが、一輪一輪の花を見るとキッと引き締まっています。じっと蓄えたエネルギーをこの時とばかりに解き放つ姿に、大自然の真っ只中で生活する凛とした逞しさを、私はいつも感じます」
年による水系の違いや、発芽のタイミングを地中で何年も待っている植物もあり、花園は毎年同じ場所に現れるとは限ぎりません。澤野さんは毎年花園の出現する場所を経験を頼りに探して回り、写真を撮り続けています。この花園、存在自体が一般にはほとんど知られておらず、自然の神秘を伝えたいと澤野さんは毎年1グループだけキャラバンを組み、自ら見つけてきた花園に案内をしています。その功績が認められ、今年南アフリカ共和国から観光大使に任命されました。
その澤野さんの写真展「純白の箱と大自然のパレット」@森をひらくこと、T.O.D.A.(栃木県那須)に行ってきました。オーナーの戸田さんが所有する那須の30ヘクタールの森の中に1年前に建てられた真っ白い小さな建物。これが今回の舞台です。
澤野さんと初めてお会いしたのはちょうど一年前。麻布十番のパレットギャラリーで行ったバリ絵画展に奥様と観にきて下さったのがご縁で、写真展に伺うのはこれで3回目となりました。
作品を見ていつも感じることは大自然、人智を遙かに超えた大いなる存在への畏敬の念です。私がバリを訪れるたびに抱くこの気持ちを、澤野さんは写真という媒体を通じて伝えておられると感じています。バリの田園風景や満月の夜の神秘、澤野さんならどんなふうに表現されるのでしょうね。「いずれ行ってみたい」と言われる日が早く実現することを願っています。
今回の写真展はギャラリーの真っ白な壁に1.0×1.5mサイズの大きな写真が両サイドに5点ずつ、正面には3.0×5.6mの壁いっぱいに広がる一面の花園が展示され、まるで実際の風景を目の前にしているような迫力です。ギャラリートークで澤野さんご自身から一点ずつ解説を伺うと、美しい花々の咲き乱れる大地の地中では、神秘的とも言える生命の営みが脈々と繰り広げられていることがわかります。
作品を鑑賞した後は澤野さんの写真ワークショップに参加し、T.O.D.A.の白い建物や森に咲く花々を題材に写真の撮り方を教わりました。普段使っているスマホやデジカメでも、3つの基本ポイントを押さえるだけで、ぐっと上達した気分に^o^
←iPhoneでこんな大接写が
この写真展、5月25日まで開催中です。5月3日は13時からギャラリートーク、14時から写真ワークショップ(10名・事前予約制)がありますよ。5月の新緑を楽しみがてら那須に足を伸ばしてみてはいかがでしょう? 開催案内はこちらを
バリアートショールームのこれから
こんにちは、坂本澄子です。
人からどう見られるかをずっと意識していました。少しでもよく見られたいと、洋服、バッグ、時計….と、ブランドにこだわった時期もありました。でも、ある時から自分が楽しいと思えるかどうかを大切にしたいと思うようになりました。
また、非日常だけでなく、多くの時間を過ごす家という場所をさらに心地よい空間にしたいと思うようにもなりました。家具や照明にこだわったり、絵を飾ったり。
音楽や演劇はその場所に行かないと本物を味わえないけど、絵は自分のうちで日常の愉しみとすることができるんですよね。私も最初は複製画を飾っていたのですが、本物の絵が部屋にあると全然違います。インテリアとしての装飾効果はもちろんですが、一流画家の描いたものを持っているという心の豊かさはまた格別です。
「一流」と言ってもいろいろ定義がありますが、美術館で所蔵されている画家の作品は多くの人々の目に触れることで色んな意味で磨かれています。また、有力ギャラリーが個展を開催し多くのファンを持ついわゆる「完売作家」は新作はもちろん、二次流通の絵画オークションでも安定した値段がついています。
残念ながら、日本の一流作家の原画なんてフツーの人には手が出ません。でも、物価が5分の1以下のバリ島の絵画なら、16世紀から続く伝統に裏打ちされたすぐれた作品が「手の届く価格」で買えるのです。
<作家別の美術館所蔵状況と絵画オークション(LARASATI)での実積>
作家名 | 作品イメージ | プリ・ルキサン 美術館 |
ネカ美術館 | アルマ美術館 | 絵画 オークション |
ガルー | ◉ | ◉ | |||
ウィラナタ | ◉ | ◉ | ◉ | ◉ | |
ソキ | ◉ | ◉ | ◉ | ◉ | |
アリミニ | ◉ | ◉ | |||
ラバ | ◉ | ||||
アンタラ | ◉ |
そんな想いがあって、今後はバリの一流作家の作品に注力していこうと考えています。
これまで『気軽に飾れるバリアート』のコーナーでご紹介してきた作家の作品はビジネスパートナーのアートルキサンさんにお願いし、バリアートショールームは「ウェブで調べて、実物を観て購入できる」をコンセプトにミュージアム作家による絵のある暮しを提案していきます。5月下旬公開予定でサイトのリニューアルも準備中です。
本物の絵は美しいだけでなく、気持ちをほぐしてくれたり、ある時は励ましてくれたりと、その時々に応じた寄り添い方をしてくれます。また、心の引き出しから懐かしい記憶を甦らせ、目の前にある絵+イマジネーションという立体的な愉しみ方ができます。
本物の絵のある暮しを始めてみませんか?
これからもバリアートショールームをどうぞよろしくお願いします!
桃源郷、そして光の創り出す空間へ
こんにちは、坂本澄子です。
「桃源郷」という言葉の響きにずっと憧れていました。
中国の古い詩集『桃花源記 ならびに詩』に出てくる、桃の花が一面に咲き乱れるその場所は、実は私たちの心の中にある場所であり、実在の場所として探すとかえって見つからなくなるものだと言います。
そういえば、昨年7月のバリ絵画展『緑に抱(いだ)かれる午後 〜 永遠の夏休み』も、そんな心の風景をバリの画家たちの手によって具象化したものでした。子供の頃に見た風景は記憶の中で次第にその形を変え、もはや現実の姿とは異なっていても、それこそがあの時心が感じた風景であり、時々そっと顔を出しては私たちを慰め励ましてくれるのです。バリの絵の魅力は描かれた景色や思想に私たち日本人にも共通するものがあり、それが心の引き出しから様々な記憶を呼び起こし、絵を見る目に奥行きと深みを与えてくれるように思います。そんなメッセージに共感して下さった方もあったのではないでしょうか。
そんなことを考えつつ、この季節、盆地全体が桃色に染まるという山梨の桃源郷に行ってきました。
中央道の釈迦堂PA。隣接する桃園の高台に上がると、盆地の遥か向こうまでピンク色の大地が断続的に続き、まるで夢見るような光景です。よく見ると花の形もさまざまで、マツバボタン風あり、枝垂れ風あり、挙げ句には同じ木なのにピンク、白、紅白混合の3種類の花を咲かせている賑やかな木ありと、一口に桃と言っても随分種類があるのには驚きました。ちなみに、3種類の花を咲かせているのは接ぎ木によるものだそうで、桃園のご主人が「木を騙すのです」と説明されるのがおかしくて、おもわず吹き出しそうに^o^
その後、清里にある「清春芸術村」を訪ねました。ここでは桜が最後の見頃を迎えていました。ここは敷地内に「清春美術館」と「光の美術館」の2つの美術館を擁し、シャガールやモディリアニなど、後の巨匠たちにアトリエ兼生活の場を提供したパリのラ・リューシュ(蜂の巣)を再現したという日本版ラ・リューシュがあります。さらに、礼拝堂、梅原龍三郎の旧アトリエなどが、広場を中心に程よい距離で点在し、それぞれにこだわりの空間を為していました。何よりも見事だったのはやはり桜。いつからそこに植わっているのだろうかと思われるほどの大木です。風がそよぐたびに花びらが雪のように舞うのはまるで映画の1シーンのようでした。
(左) ベンチが小さく見えるほど大きな桜、(右) 積み木のように見える「光の美術館」
「光の美術館」は安藤忠雄さんの設計で、小さな積み木のようなコンクリートの建物。天井を斜めに切り取るように窓が設けられ、その名の通り、自然光のみで作品を鑑賞する美術館です。光の入り方によって同じ絵でも違う表情を愉しめ、窓の向こうを雲が通り過ぎて行くのを見上げながら、いつまでもそこに留まっていたくなるような場所です。
私が訪れたときはフランスの画家ベルナール・カトランの回顧展をやっていました。写真は芸術村の公式サイトから使わせてもらったもので、カトランの作品展示でないのが残念ですが、コンクリート打ちっぱなしのモノトーンの壁を原色の花々が色鮮やかに彩っているのが何ともオシャレです。
色の使い方という点では、やはり西洋の画家の方が一日の長があるように思います。
カトランの作品もぱっと見た感じは3色くらいしか使っていないように見えるのですが、よく見ると同系色の様々な色の集合体からなり、絵に深みがあります。そこに油彩の凹凸が加わると、光の当たり具合で作品の印象が随分変わるというわけです。カトラン作品はリトグラフやタピスリーにもなっていますが、こうして見るとやはり原画にまさるものはないなあと思います。
この小さな美術館、作品と建築と自然のコラボレーションを具現化した空間として、とても密度の濃い時間が過ごせますよ。
<関連サイト>
バリアートのある暮し⑨ 再び純粋に自分と向き合う
こんにちは、坂本澄子です。
30年ぶりに高校時代の同級生のS君に会いました。
彼は少し白髪混じりになったものの、野球少年だった背の高いがっしりとした体格といい、まっすぐな性格といい、私の記憶の中にあるS君そのままでした。
その彼が「ごめん、年度末でどうしても行けなかった」とメールをくれたのは一周年記念展示会の翌日。クラスメートという以外に当時特別に接点があったわけではありません。卒業以来会う機会もなくずっと来てしまったのに、こうしてまた会えた縁を大切にしてくれる彼の律儀さと優しさをとても嬉しく思いました。
「ちょっと気になる絵がある」と奥さんと一緒に有明ショールームを訪ねてくれたのは、それから一週間後のことでした。アメリカの大学で知り合ったという奥さんは初めて会ったとは思えないほど、気さくで明るくて楽しい人。S君が絵をじっと見て考えている間に、女2人のおしゃべりの方が盛り上がってしまったくらいです。
でも後から考えると、奥さんはS君の性格をちゃんとわかってて、考える時間を作ってあげていたのではないかと思いました。
その作品とは、アンタラさん(Antara)の木炭デッサン画『憧れ – Adoration』。それを選んでくれた理由を訊くと、「adorationというタイトルがいい。色々な意味があると思うけど、それらをこの絵から立体的に感じるから。色調も、明る過ぎず、暗すぎず。玄関の壁の景色に合ってるしね」という答えが返ってきました。
「1年ほど前に今の場所に越してきて、家の中をより心地のよい空間へと整えていきたいと思っているんです」と奥さん。この絵はきっとS家にいい風を運んできてくれることでしょう。
ところで、『adoration』というタイトルは私がつけたもの。画家が表現しようとしたこの少女の瑞々しい内面に、私自身の気持ちを重ねました。きっと同世代の方はわかっていただけると思うのですが、ある年代を超えると再びあの頃のような気持ちに戻っていく、そんな感じありますよね。それまで仕事や家族など様々なものに対して責任を負ってひたすら走っていた時には、自分の内面に目を向ける余裕なんてありませんでした。その時期を超えた今、ある意味、再び純粋な気持ちで自分や周囲に向き合えるのだと思うのです。 S君ももしかするとそんな思いでこの作品を見てくれたのかも知れません。
前回のブログをご覧になった方から、偶然にもこんなコメントをいただきました。
「絵を描いて 永くなりますが 自分と向き合える 自分に迫る絵を描きたいたいと 今までの生き方の集大成を絵で表現したいと考えています。が この考え方が 青臭い?」
まさに私が考えていたことと同じでした。絵を描くことによって得られたもの、バリの人々の生き方に触れて考えたこと、安定した会社勤めを辞めてまでやろうとしていること…、これらの根っこにあるものはきっと同じなのじゃないかしら。
これからもそんな思いを自ら絵を描きながら、そして、同じ匂いのする画家の作品を通じて、表現していきたいと思います。そのために、扱い画家を少し絞っていこうと考えています。サイトのリニューアルもします。「バリアートショールーム」の2年目をこれからも見守って下さいね。
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画家の絵に対するこだわり
こんにちは、坂本澄子です。
私も趣味で絵を描いてます。ちょうど今、所属する中央美術協会、東京支部主催の作品展(@世界堂新宿本店内ビャラリーフォンテーヌ)が開かれており、写真の作品を出品しています。タイトルは『冬の華』。これはナンキンハゼといって、花のように見えるのはじつは実なのです。昨年12月、凍えそうな月の夜、真珠のように光る華が夢のように美しく、寒さも忘れてじっと見上げていました。
絵に出会ったのは30代半ば、ちょっと人生に疲れていた頃でした(^o^; たまたま駅前で絵画教室のポスターを見かけて、なぜかその時「やってみようかな」と思ったのです。たまに美術館に行く程度で、特別絵に関心が深かったわけでもないのですけどね。
先生は60歳くらいの女性の画家で、ご自宅で教えておられました。お庭に咲いた花とか、今晩の食卓にのぼる予定の生のサンマとか、様々なものが題材になりました。私は「うまく描かなきゃいけない」と肩に力が入っていたのですが、
先生「坂本さんは最初にこのブドウを見てどう思いましたか?」
私 「濃い紫がビロードのように見えてとてもきれいだと思いました」
先生「じゃあ、その感じが伝わるように表現してみましょうね」
目から鱗でした。
それまで、仕事でも、家庭でも「かくあるべし」と思い込んでいたことがいかに多かったことか。それが、自分の目を通じて見えた通りに描いてよいと言われたのですから、随分気持ちが楽になりましたよ。
「苦しいとき、哀しいときの方がむしろいい絵が描けるのよ」
この言葉にも励まされました。一見ネガティブに思える感情でも、自分の内部からわき起こる強い力であり、それは生きていることの証。その頃、あるがままの自分を受け入れることができたのは、このひとことの御陰です。
それから十数年、今でも続いているのは、絵を描くことによって励まされたり、慰められたりしたからでしょう。気がついたら、幸せなことに、絵を扱うことが仕事になっていました。
芸術家というと気難しくて、激しいタイプを想像しますが、バリアートショールーム」がおつきあいしている画家さんは皆さん穏やかな方ばかり。でも、ちょっとしたやりとりの中に、強いこだわりや誇りを感じることもあります。
例えば、風景画を描くウィラナタ(Wiranata)さんは自然に対する畏敬の念を持った人。その恵みと同時に厳しさや怖さも知り、自然と共存するバリ人ならではの強い思いがあります。
また、写実人物画に定評のたるアンタラ(Antara)さんとはこんなことも。このクラスの画家になるとアトリエを訪問しても在庫はほとんどなくいつも注文制作をしていますが、過去の個展の図録を見て「こんな感じで」と安易なお願いをしたところ、「同じものは描きたくない」と毅然と言われました。そこで、「じゃあ、何かテーマを設けて描いていただけませんか?」という話から『Balinese Beauty4部作』となったわけです。
そんなアンタラ(Antara)さんに肖像画を描いてもらえたら…とずっと憧れていましたが、最近ようやくその機会に恵まれました。今、木炭デッサン画を描いてもらっています。アンタラ(Antara)さんの目に私はどんなふうに映っているのか、ちょっと怖くもあり、そして楽しみでもあります。
2本の染め糸が織りなす奇跡の模様グリンシン
こんにちは、坂本澄子です。
「バリアートショールーム」一周年記念展示会の2日目(3月30日)のこと。東京の天気は雨と強風で大荒れ。「これじゃ、お客様に来ていただけないなぁ」とため息をついていたら、ガラスの向こうから傘を持って歩いてくる人影が。よく見ると、バリ舞踊をされているNさん。きれいでやさしくて、昨秋公演を見せていただいて以来のファンです。
そのNさん、アンタラさんの個展の作品集をご覧になると興奮気味に「これ、すごいですよ!」。何だろうと覗き込んでみると、舞踊衣装に身を包んだ少女たちが描かれていました。
「これはトゥンガナン村に伝わるグリンシンというとても珍しい織物なんですよ」とNさん。
通常、イカット(絣(かすり)は緯糸か経糸のどちらかを染めて織るのが一般的ですが、このグルンシンは経糸、緯糸の両方をに染めて織るため、ダブル・イカットとも呼ばれています。縦横の糸の柄が合うように、点と点を合わせていくとても緻密な作業を繰り返し、完成して初めて模様になるというもの。高度な技術を要するため、この技法が見られるのは世界でもバリ東部にあるこのトゥンガナン村、インドのパトラ、そして日本の結城紬、備前絣、芭蕉布、大島紬だけなのです。
下の写真の左がイカット(絣織り)、右がダブル・イカット(グリンシン)です。
赤・黒・白の3色を用いますが、これはヒンドゥ教の3大神であるブラフマー、ウィシュヌ、シヴァを表す色で、グリンシンという言葉の意味はグリン(=病気)、シン(=なし)、つまり無病息災への願いが込められているというわけです。この貴重な織物、トゥガナン村では奉納舞踊などの祭事の盛装として大切に用いられているそうです。
「バリで時々見かける踊りの絵は、衣装の描写が適当だったりするのですが、アンタラさんの絵はとても丁寧に忠実に描いていらっしゃいますね」とNさん。
そうなんです^o^ アンタラさんは美術大学(the Indonesian Fine Arts Institute)で西洋絵画を学んだ画家ですが、絵の題材はバリの伝統的なものを取り上げています。在学時に最優秀デッサン及び絵画学生として表彰された程の写実描写力を持ち、卒業後わずか3年で「バリ・アートフェスティバル」の招待画家になるなど早くから頭角を現しました。人物はもとより衣装の生地にもこだわり(写真)、模様の美しさや丁寧に織り込まれた質感が伝わってきます。
ところで、現在バリに住む人々の多くは14世紀にお隣のジャワ島から渡来した人たちの子孫、トゥンガナン村の村人たちがいわゆるバリ島の先住民と言われています。今でも純血を保つために村人以外との結婚が許されていない特別な村だとか。またまた、ミステリアスなバリの一面を見せてもらいました。
アンタラさんのどの作品も衣装が素敵ですよ。過去の作品(折りたたんである部分)も見て下さいね。
*****
さて、ここで前回のクイズの答えです。正解は「東京湾から出て行くところ」です。この船、タンカーなのですが、東京湾に入ってくるときは船内のタンクに石油をたっぷりと載せているので、その重みで船体の中程まで海に沈みます。あの写真はぷっかりと浮いてる感じでした。これはつまり空になった状態ということなのです。ちなみに水面に浮かんだ線を喫水線と呼ぶそうです^o^
<関連サイト>
ぶらりっ バリ雑貨の旅 ・・・ 私の大好きなピュア☆ラ☆バリのナナさんのブログから写真と文章を参考にさせていただきました。いつもながらナナさん、取材力がすごいです!