バリアートショールーム オーナーブログ
2014.5.14

絵が呼び起こすイマジネーション

こんにちは、坂本澄子です。
先日Facebookに「どこでもドアがあったらいいな」という投稿をしたところ、「どこでも窓」なるものがあるとのコメントをいただきました。みなさん、ご存知でしたか?ご興味ある方はこちらに動画がありますのでどうぞ。

どこでも窓実物を見たことはありませんが、ムービーを見た感じでは、その場にいる雰囲気がかなり味わえそうです。プロジェクターを使用するので、窓の向こうの風景が自由に変えられるのもいいですね。そのうち、その時々の気分で映像が変わり…といった、高校時代に読みあさった星新一さんのショートショートに出て来るような未来の生活を思い浮かべました。ITの進歩によってこんな生活ができる日もそう遠くはないかも知れません。

その一方で、アナログなものの持つ力もあなどれませんよ〜。

51cNUdZY69L._SL500_AA300_今、村上春樹さんの『女のいない男たち』(文藝春秋)を読んでいます。売上トップに入り書店に平積みされていますので、お読みになっているかも知れませんね。そこに収録されている『イエスタディ』という短編の中にこんな箇所があります。

「音楽にはそのように記憶をありありと、時には胸が痛くなってしまうほど克明に喚起する効用がある」

この物語に登場する主人公(男)の大学時代の友人木樽は、生粋の東京生まれ・東京育ちにも関わらず完璧な関西弁を話すちょっと(かなり)変わり者で、ビートルズのかの有名な表題曲を関西弁でヘンな替え歌にして歌っていました。16年たった今、その歌詞はほとんど覚えていないけれども、この曲を耳にするたびに、半年という凝縮されたつきあいの中での彼との会話や情景が自然に蘇ってくるというのです。

ここを読んで、身につまされました。村上春樹さんの作品にはこんなふうに、「そうそう、よくぞ言ってくれました」と共感することが多く、大好きな作家のひとりなのですが、同じように絵にも、普段は心の奥底に眠っている記憶を呼び覚ます効用を果たすときがあります。一旦、水面に引き上げられた記憶はそのときの情景や心のありさまを呼び起こし、立体的なイメージを脳内に浮び上がらせます。

「どこでも窓」が2Dならこちらは(3+α)Dでしょうか、つくづく人の持つ想像力は無限であると思います。

少年たちの情景私にとってのそんな絵のひとつが、LABAさんの『少年たちの情景』です。特に今日みたいに「これから夏がやってくる!」と感じるお天気の日にこの絵の醸し出す昭和っぽい雰囲気や緑色の深さに触れると、遠い昔のある夏休みのできごとを思い出します。その記憶の持つ優しさや切なさを感じることによって自分への信頼を取り戻し、今こうして守り生かされていることを感謝するのです。

絵の持つ力ってすごいですよね。ぜひあなたにもそんな作品に出会っていただきたいと思います。

<関連ページ>

LABA 作家&作品紹介

2014.5.7

肖像画の本質について考えてみました

こんにちは、坂本澄子です。

先日の震度5の地震、久し振りに揺れました。うちは家中に絵を掛けているため、ぐらっときた瞬間慌てて飛び起きました。幸い絵はそれぞれの場所にじっとしておりほっとしましたが、それも束の間、今度はマンションのエレベータが停止。このあたりのタワーマンションは軒並みエレベータが止まったらしく、保守作業員の方が順番に回って安全確認が完了するまで随分時間がかかりました。それでも、大事に至らずほんとによかったです。

さて、前回(5月3日)のブログでアンタラさんの新しいアトリエと肖像画についてご紹介しましたが、実は私自身も未消化になっていることがひとつありました。写真を見て描いたものは、外見が似ているかどうかに終始してしまい、結局は写真を超えることはできないのではないかという疑問です。

それが偶然出会ったあるデッサン画がするりと解決してくれました。

スクリーンショット 2014-05-07 7.35.27東京オペラシティのアートギャラリーにて開催中の舟越保武さんの「長崎26殉教者 未発表デッサン」展でのことです。写真のパンフレットの通り、精緻に描き込まれたものではありませんが、その表情は一度見たら脳裏に貼り付いて忘れられなくなるほど、その人の心情を描き出していました。

1597年に長崎で磔処刑されたキリシタン26人(6人が外国人宣教師、20人が日本人)の記念像の建立にあたり、イエズス会からその制作を依頼された舟越さんが描き起こしたデッサン画です。それぞれの顔はもちろんのこと、合わせた手や足、衣のひだに至るまで思いを巡らせた後を見てとることができます。

26殉教者記念像

長崎・西坂の丘に建つ完成した日本二十六聖人殉教記念碑

この作品展のパンフレットから引用しながらご説明しますと、400年以上も昔の話ですから、写真はおろか容姿を伝える絵画資料は一切残っていません。殉教者たちが生前書き記した手紙や処刑の際の様子を紹介した、ルイス・フロイスの『日本二十六聖人殉教記」などの情報を元に、作家はそれぞれの人物の性格や内面を捉え、100点近いデッサンを通じて、まさにゼロからその造形を行ったわけです。例えば、十字架の上から民衆にキリストの教えを説いたというパウロ三木は強い信念を もつ逼しい青年として描かれ、司祭が捕縛されたときに自分も捕らえるように願い出て、刑場で「自分の十字架はどこ」と尋ね たという最年少12歳のルドビコ茨木の面立ちにはあどけなさが漂い、また、喜びの涙を流し、讃美歌を歌いながら絶命したと いうフィリッボ・デ・ヘススの顔貌には安らぎと希望が感じられるというふうです。

ご存知かも知れませんが、舟越保武さんのご子息舟越桂さんも我が国を代表する彫刻家ですから、きっとどこかでご覧になったことがあるかも知れません。その宙を見つめるような穏やかな瞳には様々な内面が凝縮されており、不思議な感じさえします。

話を殉教者に戻しますと、この26名は冬の寒さの中を京都から長崎まで引き回されてきました。やせ衰え、身なりもひどいものだったと想像されますが、 作家は髪を整え、衣服も真新しい晴れ着に替えています。「私はせい惨なものは好まない。激しい動きも喧燥もきらいである」という作家の想いとその後の作品に一貫する特徴一均整のとれた統一感、不純なものを排した簡潔性が認められます。

つまり、実際とは違うかも知れないけれども、作家の目を通じて見た彼らの姿を描き出したわけです。

私は肖像画もこうでなければならないと思いました。肖像画には必ず依頼主がいます。本人の場合もあれば、ご家族、友人の場合もあります。いずれにしても近しい存在で、その人に対するイメージや特別な想いがあるはずです。

ならば、写真を外見上の手がかりとするにせよ、そのときの状況やご本人の気持ち、それを見ている依頼主の想いなどを描き手との間で共有することにより、依頼主の目を通じて捉えたその人の内面に迫ることができ、絵ならではの魅力を生み出すことができると考えました。

ウタリそこで今度は、アンタラさんにある女性を描いてもらうことにしました。モデルは以前Facebookアルバム「バリの笑顔」でたくさんのいいね!をもらったウタリ(17歳)です。この写真からわずか1年ですが、彼女は自分の考えを持った大人の女性に成長していました。アンタラさんにとっては初対面ですが、彼女の今を伝えてデッサン画をお願いしています。

この続きはサイトリニューアル後の「ピックアップ・アーティスト」のコーナーでご紹介します。5月下旬公開予定、ぜひご覧下さいね。

アンタラさんへの肖像画のご相談はこちらへどうぞ。

2014.5.3

アトリエ訪問 〜 田園風景を眺める場所から

こんにちは、坂本澄子です。

アトリエにあった作品その人の内面にまで迫る描写力で定評のある写実画家のWayan Bawa ANTARA(アンタラ)。いつか私を描いてほしいという願いがついに実現しました。昨年完成したウブド郊外の新しいアトリエも気になっており、現地パートナーの木村さんにさっそく取材に行ってもらいました。

制作中のアンタラ氏

 そのアトリエは、大きく開かれた2階の窓から田園風景が見渡せる場所にありました。バルコニーに出ると、田んぼはちょうど刈り取りを終えたところで、普段は湿気の多いバリですが、その日は心地よい風が感じられるほど。

アンタラさんにはこれまで何度かお会いしていますが、気に入った写真をお渡し、それを元に描いてもらうことにしました。

IMG_3170広いアトリエのほぼ中央には、原木から切り出した一枚板の大きなテーブルが置かれています。アンタラさん、ここにスケッチブックを立てかけるようにして座ると、チャコールペンシルを持つ手が猛スピードで動き始めました。その集中力たるやすごいものです。見る見るうちに白い画用紙に輪郭が現れ、目を描くとそこにいのちが宿りました。

 

水の女神デウィ・ガンガ

吹き抜けになった場所に箱庭がもうけられ、
水を司る女神のデウィ・ガンガの石像が

待っている間、アトリエの中を見せてもらっていると、きれいな装丁の画集が目にとまりました。昨年ジャカルタの老舗ギャラリー”GALERI HADIPRANA”が開催した、国内で最も輝いているアーティストたちの作品展『Bridging two worlds』向けに作られたものです。ぱらぱらとめくってみると、このアトリエの紹介とともにアンタラさんの作品が大きく取り上げられていました。”Golden Harvest”をテーマに描いたという黄金色に輝く抜けるような田園風景は、まさしくこのアトリエのもたらした新たなインスピレーションでしょう。

グループ展の立派な画集 IMG_3155 IMG_3156

近年の経済の発展は目覚ましいものがあり、首都ジャカルタなど大都市の富裕層、中間層を中心に、アンタラさんのような人気作家の作品が飛ぶように売れているそうです。

そうこうしているうちに絵が完成しました。

  *****

 後日額装してこんなに立派なポートレートに。ちょっぴりくすぐったい気分です。

sakamoto-portrait「いくつになっても精一杯生きていたいし、そんな自分を信頼する画家の手によって残しておきたい」、アンタラさんには私の気持ちをしっかりと受けとめてもらえました。宝物としてずっと大事にします。

一方、木村さんから送ってもらったこれらの写真を見ながら、日本は経済だけでなくアートに於いてもアジアの中心にいると言えるだろうか…と考えさせられました。

絵画だけでなく、音楽や文芸、日本の伝統芸能など芸術全般に対して政府や民間企業が拠出しているお金は、日本とインドネシアの経済規模を考えたとき桁違いに小さいのではないでしょうか。芸術家が日本で食べていくのは難しいし、優秀な人は海外へ活躍の場を求めて出て行ってしまう。鑑賞する側も美術館には行っても、日常の中で身近にアートを愉しむという発想になかなかなれないのではないかと思いました。

日本人は毎日を心豊かに過ごすことをもっと考えてもいいのではないでしょうか。私も微力ながら、アートのある毎日を愉しむ提案を続けていきたいと思っています。

アンタラさんの肖像画制作に関するお問合せはcontact@balikaiga.comまで。

<関連ページ>

日本で実物が見れるアンタラさんの作品

 

2014.4.30

神々の花園 〜 澤野新一朗写真展に行ってきました

「神々の花園」澤野新一朗写真展こんにちは、坂本澄子です。
一面の茶褐色の荒涼とした原野がわずか数週間だけ地平線の果てまで咲き広がる色とりどりの花園に変わる。23年前に初めてその光景を目にして以来の感動を、写真家・澤野新一朗さんは次のように表現しておられます。

「成長を急ぐため、背丈は低く、貧弱に見えますが、一輪一輪の花を見るとキッと引き締まっています。じっと蓄えたエネルギーをこの時とばかりに解き放つ姿に、大自然の真っ只中で生活する凛とした逞しさを、私はいつも感じます」

年による水系の違いや、発芽のタイミングを地中で何年も待っている植物もあり、花園は毎年同じ場所に現れるとは限ぎりません。澤野さんは毎年花園の出現する場所を経験を頼りに探して回り、写真を撮り続けています。この花園、存在自体が一般にはほとんど知られておらず、自然の神秘を伝えたいと澤野さんは毎年1グループだけキャラバンを組み、自ら見つけてきた花園に案内をしています。その功績が認められ、今年南アフリカ共和国から観光大使に任命されました。

T.O.D.A. オープンプレイスその澤野さんの写真展「純白の箱と大自然のパレット」@森をひらくこと、T.O.D.A.(栃木県那須)に行ってきました。オーナーの戸田さんが所有する那須の30ヘクタールの森の中に1年前に建てられた真っ白い小さな建物。これが今回の舞台です。

澤野さんと初めてお会いしたのはちょうど一年前。麻布十番のパレットギャラリーで行ったバリ絵画展に奥様と観にきて下さったのがご縁で、写真展に伺うのはこれで3回目となりました。

作品を見ていつも感じることは大自然、人智を遙かに超えた大いなる存在への畏敬の念です。私がバリを訪れるたびに抱くこの気持ちを、澤野さんは写真という媒体を通じて伝えておられると感じています。バリの田園風景や満月の夜の神秘、澤野さんならどんなふうに表現されるのでしょうね。「いずれ行ってみたい」と言われる日が早く実現することを願っています。

ギャラリー展示室今回の写真展はギャラリーの真っ白な壁に1.0×1.5mサイズの大きな写真が両サイドに5点ずつ、正面には3.0×5.6mの壁いっぱいに広がる一面の花園が展示され、まるで実際の風景を目の前にしているような迫力です。ギャラリートークで澤野さんご自身から一点ずつ解説を伺うと、美しい花々の咲き乱れる大地の地中では、神秘的とも言える生命の営みが脈々と繰り広げられていることがわかります。

写真ワークショップ作品を鑑賞した後は澤野さんの写真ワークショップに参加し、T.O.D.A.の白い建物や森に咲く花々を題材に写真の撮り方を教わりました。普段使っているスマホやデジカメでも、3つの基本ポイントを押さえるだけで、ぐっと上達した気分に^o^

←iPhoneでこんな大接写が

この写真展、5月25日まで開催中です。5月3日は13時からギャラリートーク、14時から写真ワークショップ(10名・事前予約制)がありますよ。5月の新緑を楽しみがてら那須に足を伸ばしてみてはいかがでしょう? 開催案内はこちら

2014.4.26

バリアートショールームのこれから

こんにちは、坂本澄子です。

人からどう見られるかをずっと意識していました。少しでもよく見られたいと、洋服、バッグ、時計….と、ブランドにこだわった時期もありました。でも、ある時から自分が楽しいと思えるかどうかを大切にしたいと思うようになりました。

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ネカ美術館のアリー・スミット・パビリオン
階下には彼に影響を受けたヤングアーティストたちの
作品が展示されている

また、非日常だけでなく、多くの時間を過ごす家という場所をさらに心地よい空間にしたいと思うようにもなりました。家具や照明にこだわったり、絵を飾ったり。

音楽や演劇はその場所に行かないと本物を味わえないけど、絵は自分のうちで日常の愉しみとすることができるんですよね。私も最初は複製画を飾っていたのですが、本物の絵が部屋にあると全然違います。インテリアとしての装飾効果はもちろんですが、一流画家の描いたものを持っているという心の豊かさはまた格別です。

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ネカ美術館の第一展示室。伝統バリ絵画が展示されており、ウィラナタ氏の作品もここで観ることができる

「一流」と言ってもいろいろ定義がありますが、美術館で所蔵されている画家の作品は多くの人々の目に触れることで色んな意味で磨かれています。また、有力ギャラリーが個展を開催し多くのファンを持ついわゆる「完売作家」は新作はもちろん、二次流通の絵画オークションでも安定した値段がついています。

残念ながら、日本の一流作家の原画なんてフツーの人には手が出ません。でも、物価が5分の1以下のバリ島の絵画なら、16世紀から続く伝統に裏打ちされたすぐれた作品が「手の届く価格」で買えるのです。

<作家別の美術館所蔵状況と絵画オークション(LARASATI)での実積>

作家名 作品イメージ プリ・ルキサン
美術館
ネカ美術館 アルマ美術館 絵画
オークション
 ガルー 『早暁の静謐』  ◉  ◉
 ウィラナタ 『一日の始まり』  ◉  ◉  ◉  ◉
 ソキ SOKI 『バリ島』  ◉  ◉  ◉  ◉
 アリミニ 『宇宙の秩序を司る神ウィシュヌ』  ◉  ◉
 ラバ 『少年たちの情景』  ◉
 アンタラ 秘密よ  ◉

 そんな想いがあって、今後はバリの一流作家の作品に注力していこうと考えています。

これまで『気軽に飾れるバリアート』のコーナーでご紹介してきた作家の作品はビジネスパートナーのアートルキサンさんにお願いし、バリアートショールームは「ウェブで調べて、実物を観て購入できる」をコンセプトにミュージアム作家による絵のある暮しを提案していきます。5月下旬公開予定でサイトのリニューアルも準備中です。

本物の絵は美しいだけでなく、気持ちをほぐしてくれたり、ある時は励ましてくれたりと、その時々に応じた寄り添い方をしてくれます。また、心の引き出しから懐かしい記憶を甦らせ、目の前にある絵+イマジネーションという立体的な愉しみ方ができます。

本物の絵のある暮しを始めてみませんか?

これからもバリアートショールームをどうぞよろしくお願いします!

2014.4.23

桃源郷、そして光の創り出す空間へ

こんにちは、坂本澄子です。

「桃源郷」という言葉の響きにずっと憧れていました。

中国の古い詩集『桃花源記 ならびに詩』に出てくる、桃の花が一面に咲き乱れるその場所は、実は私たちの心の中にある場所であり、実在の場所として探すとかえって見つからなくなるものだと言います。

そういえば、昨年7月のバリ絵画展『緑に抱(いだ)かれる午後 〜 永遠の夏休み』も、そんな心の風景をバリの画家たちの手によって具象化したものでした。子供の頃に見た風景は記憶の中で次第にその形を変え、もはや現実の姿とは異なっていても、それこそがあの時心が感じた風景であり、時々そっと顔を出しては私たちを慰め励ましてくれるのです。バリの絵の魅力は描かれた景色や思想に私たち日本人にも共通するものがあり、それが心の引き出しから様々な記憶を呼び起こし、絵を見る目に奥行きと深みを与えてくれるように思います。そんなメッセージに共感して下さった方もあったのではないでしょうか。

釈迦堂PAそんなことを考えつつ、この季節、盆地全体が桃色に染まるという山梨の桃源郷に行ってきました。

中央道の釈迦堂PA。隣接する桃園の高台に上がると、盆地の遥か向こうまでピンク色の大地が断続的に続き、まるで夢見るような光景です。よく見ると花の形もさまざまで、マツバボタン風あり、枝垂れ風あり、ブログ140_桃の木挙げ句には同じ木なのにピンク、白、紅白混合の3種類の花を咲かせている賑やかな木ありと、一口に桃と言っても随分種類があるのには驚きました。ちなみに、3種類の花を咲かせているのは接ぎ木によるものだそうで、桃園のご主人が「木を騙すのです」と説明されるのがおかしくて、おもわず吹き出しそうに^o^

 その後、清里にある「清春芸術村」を訪ねました。ここでは桜が最後の見頃を迎えていました。ここは敷地内に「清春美術館」と「光の美術館」の2つの美術館を擁し、シャガールやモディリアニなど、後の巨匠たちにアトリエ兼生活の場を提供したパリのラ・リューシュ(蜂の巣)を再現したという日本版ラ・リューシュがあります。さらに、礼拝堂梅原龍三郎の旧アトリエなどが、広場を中心に程よい距離で点在し、それぞれにこだわりの空間を為していました。何よりも見事だったのはやはり桜。いつからそこに植わっているのだろうかと思われるほどの大木です。風がそよぐたびに花びらが雪のように舞うのはまるで映画の1シーンのようでした。

(左) ベンチが小さく見えるほど大きな桜、(右) 積み木のように見える「光の美術館」

ブログ140_桜 ブログ140_清春芸術村

光の美術館「光の美術館」は安藤忠雄さんの設計で、小さな積み木のようなコンクリートの建物。天井を斜めに切り取るように窓が設けられ、その名の通り、自然光のみで作品を鑑賞する美術館です。光の入り方によって同じ絵でも違う表情を愉しめ、窓の向こうを雲が通り過ぎて行くのを見上げながら、いつまでもそこに留まっていたくなるような場所です。

私が訪れたときはフランスの画家ベルナール・カトランの回顧展をやっていました。写真は芸術村の公式サイトから使わせてもらったもので、カトランの作品展示でないのが残念ですが、コンクリート打ちっぱなしのモノトーンの壁を原色の花々が色鮮やかに彩っているのが何ともオシャレです。

色の使い方という点では、やはり西洋の画家の方が一日の長があるように思います。

カトラン 黄色のバラ 62009-thumb-1709x1843-453カトランの作品もぱっと見た感じは3色くらいしか使っていないように見えるのですが、よく見ると同系色の様々な色の集合体からなり、絵に深みがあります。そこに油彩の凹凸が加わると、光の当たり具合で作品の印象が随分変わるというわけです。カトラン作品はリトグラフやタピスリーにもなっていますが、こうして見るとやはり原画にまさるものはないなあと思います。

この小さな美術館、作品と建築と自然のコラボレーションを具現化した空間として、とても密度の濃い時間が過ごせますよ。

<関連サイト>

清春芸術村公式ホームページ

 

2014.4.19

バリアートのある暮し⑨ 再び純粋に自分と向き合う

こんにちは、坂本澄子です。

30年ぶりに高校時代の同級生のS君に会いました。

彼は少し白髪混じりになったものの、野球少年だった背の高いがっしりとした体格といい、まっすぐな性格といい、私の記憶の中にあるS君そのままでした。

その彼が「ごめん、年度末でどうしても行けなかった」とメールをくれたのは一周年記念展示会の翌日。クラスメートという以外に当時特別に接点があったわけではありません。卒業以来会う機会もなくずっと来てしまったのに、こうしてまた会えた縁を大切にしてくれる彼の律儀さと優しさをとても嬉しく思いました。

「ちょっと気になる絵がある」と奥さんと一緒に有明ショールームを訪ねてくれたのは、それから一週間後のことでした。アメリカの大学で知り合ったという奥さんは初めて会ったとは思えないほど、気さくで明るくて楽しい人。S君が絵をじっと見て考えている間に、女2人のおしゃべりの方が盛り上がってしまったくらいです。

でも後から考えると、奥さんはS君の性格をちゃんとわかってて、考える時間を作ってあげていたのではないかと思いました。

練馬区S様_4その作品とは、アンタラさん(Antara)の木炭デッサン画『憧れ – Adoration』。それを選んでくれた理由を訊くと、「adorationというタイトルがいい。色々な意味があると思うけど、それらをこの絵から立体的に感じるから。色調も、明る過ぎず、暗すぎず。玄関の壁の景色に合ってるしね」という答えが返ってきました。

「1年ほど前に今の場所に越してきて、家の中をより心地のよい空間へと整えていきたいと思っているんです」と奥さん。この絵はきっとS家にいい風を運んできてくれることでしょう。

ところで、『adoration』というタイトルは私がつけたもの。画家が表現しようとしたこの少女の瑞々しい内面に、私自身の気持ちを重ねました。きっと同世代の方はわかっていただけると思うのですが、ある年代を超えると再びあの頃のような気持ちに戻っていく、そんな感じありますよね。それまで仕事や家族など様々なものに対して責任を負ってひたすら走っていた時には、自分の内面に目を向ける余裕なんてありませんでした。その時期を超えた今、ある意味、再び純粋な気持ちで自分や周囲に向き合えるのだと思うのです。 S君ももしかするとそんな思いでこの作品を見てくれたのかも知れません。

前回のブログをご覧になった方から、偶然にもこんなコメントをいただきました。

「絵を描いて 永くなりますが 自分と向き合える 自分に迫る絵を描きたいたいと 今までの生き方の集大成を絵で表現したいと考えています。が この考え方が 青臭い?」

まさに私が考えていたことと同じでした。絵を描くことによって得られたもの、バリの人々の生き方に触れて考えたこと、安定した会社勤めを辞めてまでやろうとしていること…、これらの根っこにあるものはきっと同じなのじゃないかしら。

これからもそんな思いを自ら絵を描きながら、そして、同じ匂いのする画家の作品を通じて、表現していきたいと思います。そのために、扱い画家を少し絞っていこうと考えています。サイトのリニューアルもします。「バリアートショールーム」の2年目をこれからも見守って下さいね。

<関連ページ>

アンタラ氏の作品

2014.4.16

画家の絵に対するこだわり

こんにちは、坂本澄子です。

IMG_2367私も趣味で絵を描いてます。ちょうど今、所属する中央美術協会、東京支部主催の作品展(@世界堂新宿本店内ビャラリーフォンテーヌ)が開かれており、写真の作品を出品しています。タイトルは『冬の華』。これはナンキンハゼといって、花のように見えるのはじつは実なのです。昨年12月、凍えそうな月の夜、真珠のように光る華が夢のように美しく、寒さも忘れてじっと見上げていました。

絵に出会ったのは30代半ば、ちょっと人生に疲れていた頃でした(^o^; たまたま駅前で絵画教室のポスターを見かけて、なぜかその時「やってみようかな」と思ったのです。たまに美術館に行く程度で、特別絵に関心が深かったわけでもないのですけどね。

先生は60歳くらいの女性の画家で、ご自宅で教えておられました。お庭に咲いた花とか、今晩の食卓にのぼる予定の生のサンマとか、様々なものが題材になりました。私は「うまく描かなきゃいけない」と肩に力が入っていたのですが、

先生「坂本さんは最初にこのブドウを見てどう思いましたか?」

 私   「濃い紫がビロードのように見えてとてもきれいだと思いました」

先生「じゃあ、その感じが伝わるように表現してみましょうね」

目から鱗でした。

それまで、仕事でも、家庭でも「かくあるべし」と思い込んでいたことがいかに多かったことか。それが、自分の目を通じて見えた通りに描いてよいと言われたのですから、随分気持ちが楽になりましたよ。

「苦しいとき、哀しいときの方がむしろいい絵が描けるのよ」

この言葉にも励まされました。一見ネガティブに思える感情でも、自分の内部からわき起こる強い力であり、それは生きていることの証。その頃、あるがままの自分を受け入れることができたのは、このひとことの御陰です。

それから十数年、今でも続いているのは、絵を描くことによって励まされたり、慰められたりしたからでしょう。気がついたら、幸せなことに、絵を扱うことが仕事になっていました。

芸術家というと気難しくて、激しいタイプを想像しますが、バリアートショールーム」がおつきあいしている画家さんは皆さん穏やかな方ばかり。でも、ちょっとしたやりとりの中に、強いこだわりや誇りを感じることもあります。

"Hujan" Wiranata

Hujan (雨) WIRANATA

例えば、風景画を描くウィラナタ(Wiranata)さんは自然に対する畏敬の念を持った人。その恵みと同時に厳しさや怖さも知り、自然と共存するバリ人ならではの強い思いがあります。

また、写実人物画に定評のたるアンタラ(Antara)さんとはこんなことも。このクラスの画家になるとアトリエを訪問しても在庫はほとんどなくいつも注文制作をしていますが、過去の個展の図録を見て「こんな感じで」と安易なお願いをしたところ、「同じものは描きたくない」と毅然と言われました。そこで、「じゃあ、何かテーマを設けて描いていただけませんか?」という話から『Balinese Beauty4部作』となったわけです。

そんなアンタラ(Antara)さんに肖像画を描いてもらえたら…とずっと憧れていましたが、最近ようやくその機会に恵まれました。今、木炭デッサン画を描いてもらっています。アンタラ(Antara)さんの目に私はどんなふうに映っているのか、ちょっと怖くもあり、そして楽しみでもあります。

2014.4.9

ほっとする風景がここにも 〜 横須賀美術館 谷内六郎館

こんにちは、坂本澄子です。

この春最後の桜を求めて三浦半島へ行って来ました。途中、「海辺のミュージアム」として以前から関心を持っていた横須賀美術館に立ち寄ったのですが、そこに併設されている谷内六郎館で懐かしい作品に出会いました。

週刊新潮1谷内六郎。ある年齢以上の方はご記憶の片隅にあるのではないでしょうか。週刊新潮の表紙を25年にわたり飾っていた、絵本のような優しい光景を描く画家です。

1956年の『週刊新潮』の創刊と同時に掲載が始まり、1981年に心不全で亡くなるまで休むことなく描き続けられた表紙絵はなんと1336点。生前画家が「毎日だって僕の絵を見てもらいたいんだ」と熱っぽく語っていた通りの画家人生です。

私が訪れた時は、「いつも鉄道をみてた」をテーマに汽車(電車よりも汽車という呼び名が似合います)のある風景51点が展示されていました。女の子と身体が一回り小さい男の子(多分姉弟なんでしょうね)、ネコなどが登場し、そのやさしい関係性までが情緒溢れる筆致で表現されています。そして、それぞれに400字ほどの「表紙の言葉」が添えられているのですが、これがまた絵に深みを持たせ、記憶の奥底にあった淡い思い出がひとつまたひとつと引き出されていくようで、実に濃厚な時間が過ごせます。

ブログ138_谷内六郎この展示が面白いのは、「週刊新潮」の実際の表紙が4点ほど展示されており、原画との対比を楽しめること。画家は制作にあたり水彩と併せて砂や鑞などの素材も取り入れているのですが、当時の写真・印刷は原画とは異なった風合いを出しており、これがまた、退色したインクの味わいと共になんとも言えないレトロな感じを創り出しているんです。まさに時の経過が生み出すアートですね。

谷内六郎館では年間4回、約50点ずつ作品を入れ替えながら展示をしており、次は4月12日から同じく<週刊新潮表紙絵>展で、今度は家族をテーマにした展示『家族の時間』が始まるそうです。

 谷内六郎さんが描き続けた家族愛、懐かしい風景、素朴な人々、夢見るような空想世界は「バリアートショールーム」でご紹介しているウブドの画家たちが表現しているものとどこか似ている気がします。失われつつある…、でも、これからもずっと大切にしていたいものです。

横須賀美術館屋上からの眺めところで、横須賀美術館は海に向かって建つモダンな白い建物。思わず入ってしまいたくなるような佇まいです。地元作家の作品を中心に昭和の匂いを感じる作品を所蔵・展示しています。屋上展望室に上がると向かいに房総半島が見えました。東京湾に荷物を運ぶ大型船舶がゆっくりと行き交い、穏やかな春を感じる一日でした。

ここでオマケのクイズです。

船の向きはどちら?谷内六郎館は白い箱を2つ並べて真ん中をガラスの通路でつなげたような構造をしています。左の写真はその通路から海を撮ったもの。ぱっと見て答えてください。この船は東京湾に入ってくるところでしょうか。それとも出ていくところでしょうか? 答えは土曜日のブログで^o^

 

<関連サイト>

横須賀美術館ホームページ

 

2014.4.5

ほんものの絵のある暮しを始めませんか?

こんにちは、坂本澄子です。昨日からの強い風を受け、東京では桜が散り始めました。桜は色々な美しさを見せてくれますが、私は散り際の桜の儚さに惹かれます。いつか自分でも描いてみたいと思っています^_^

ところで、個人的に一番好きな画家はマグリットです。中学校の美術の教科書で『ピレネーの城』を見て以来のファンで、あの不思議な雰囲気が何ともたまりません。数年前に渋谷のbunkamuraミュージアムでマグリット展が行われた時には3回も観に行きました。中でもよかったのが『光の帝国』、わざわざ順路を戻って観たくらいなのです。背景の空は真昼、なのに手前の建物は灯りのともった夜、現実にはあり得ない光景を描いた作品です。

最後に観に行ったのは最終日でした。興奮さめやらぬまま展示室を出るとそこはミュージアム・ショップ。絵はがきやポスター、MoMA(ニューヨーク近代美術館)で売っているマグリットの空がプリントされた傘など様々なマグリットグッズに混じって、大きな複製画が展示されていました。65,000円くらいだったと思いますが、注文制作しますとのこと。「これを見るたびに不思議の世界への旅ができる」という期待感いっぱいで、思わず衝動買いしてしまいました。

マグリット『光の帝国』そして待つこと2週間、ついにその作品が到着。縦が1m近くあり、ずっしりと重い額縁に入っていました。娘に手伝ってもらい壁にかけて眺めると…。残念ながら、そこにあの感動はありませんでした。精巧に作られた印刷物というだけの印象だったのです。美術館で実際の作品を目にした直後だったから、素敵に思えたのでしょう。今も寝室に飾っていますが、ほとんど観ることもなく、部屋のインテリアの一部として同化してしまっています(T^T)

私と似た経験をした人、案外多いんじゃないでしょうか。日本人はポスターやリトグラフ(版画)を買う人が多いですよね。欧米人は版画も買いますが、有名作家、無名作家に関わらず絵はオリジナル(原画)と思っています。世界に一点しかない、一筆一筆に想いを込めて描かれた作品だからです。

10年に渡り親しくさせてもらっていたアメリカ人がいました。以前外資系企業に勤めていた関係で、ご自宅に英会話のレッスンに行くようになったのがきっかけですが、英語を習う必要がなくなっても、月に1〜2回はおじゃましてはおしゃべりしたり、時には相談事をしたりしていました。どの部屋にも大小の絵が飾ってありました。もちろんどれも原画です。同じ作家ばかりではないのですが、同じ空間の中で美しく調和を保っていました。それはしっかりとした審美眼を持ち、自身の嗜好で集めた作品だからでしょう。

それを見て、日本は随分豊かになったけれども、芸術を日常に取り入れるという点では欧米に比べて遅れていると感じました。そう思うと有名な画家の複製画を部屋に掛けている自分が何だか恥ずかしくなってきました。うちにもほんものの絵があるといいなあ。かと言って、いきなり高価な絵を買う訳にもいきません。

ガルー『椰子の実の収穫』そんな時に出会ったのがバリ島の絵画、その質の高さには正直驚きました。親から子へと代々受け継がれる伝統絵画、ウブドには多くの優れた画家がいます。(その理由についてはこの記事をどうぞ)しかも、オランダ統治下で西洋絵画の影響を受けてさらに磨かれ、様々なスタイルへと進化していきました。

私も最初は花鳥画に目にとまりましたが、ブログ56_秘密よ風景画、人物画など多くのセレクションがあるのも魅力。ウブドのギャラリーで売られている絵は玉石混淆ですが、地元の美術館(プリ・ルキサン美術館ネカ美術館アルマ美術館)に所蔵されている作家、画家名鑑『BALI BRAVO』に掲載されている作家のものであればまず大丈夫です。そんな一流作家の作品でも、物価が日本の5分の1以下のバリでは「手の届く価格」で買えるのです。これなら私でもほんものの絵を持てると思いました。

バリ絵画は日本でも紹介されていましたが、ほとんどがネット販売、そのため価格帯も2〜3万円のインテリア絵画が中心でした。ほんもののバリ絵画を紹介するにはやはり実物を見てもらうしかないと始めたのが、この「バリアートショールーム」です。

この1年様々なお客様との出会いがありました。それぞれに絵を買う理由は違いましたが、ある時には絵がご自身の想いを代弁してくれたり、また、ある時には創造力をふくらませてくれたりと、それぞれの形で絵との知的交流を愉しんでおられるようです。お客様からのお便りはこちらをご覧下さい。

この春、あなたもほんものの絵のある暮しを始めてみませんか。

バリ島の美術館に作品所蔵されている画家の作品はこちらです。

GALUH, WIRANATA, ARIMINI, LABA, SOKI

また、10万円以下で気軽に飾れる作品を1周年感謝価格で販売中です。詳しくはこちらをどうぞ。